2013年03月19日

横道世之介

1980年代後半の東京の大学生を描いた青春群像作品。私のレビューは「17年後」のようなテロップが出る映画を観るたびにその演出力のなさを指摘するのだが、この映画はその点余計なテロップに頼っていないところがまず評価できる。一番最初は「あれ?」と思うが、監督の演出手法に慣れてしまえば、後は全く問題ない。

冒頭の新宿のシーンからカセットテープの広告など、時代考証がなかなか正確で、あ、このあたり、きちんとやっているんだな、と感じさせられる。ところが、これらを全て台無しにするのが一本松葉杖の利用に関する描写である。松葉杖を使った経験のない人間は頻繁に間違えるし、映像コンテンツの中に登場する怪我人も多くが間違えるのだが、松葉杖を一本で済ませる場合、杖は健脚の側につくのであって、怪我をしている側につくことはない。健脚と反対側につくのは危険だし、そもそも体重が怪我をした脚にかかってしまい、歩くこともままならない。キチンと整形外科にかかったことのある人間なら誰一人としてこの映画のような片松葉の利用をするはずがなく、どうしてここまで時代考証にこだわった映画でこんな失敗をやらかしたのか、なぜ誰一人として気付かなかったのかと不思議に思う。「そんなに目くじらを立てなくても」と思うなかれ。健脚と反対側に片松葉をつくのはとても危険な行為なのだ。無知で済む問題ではない。

さて、内容はというと、横道世之介を中心とした青春時代の一コマを軽妙なタッチで描いていて、似たようなトーンの作品としては、私たちの時代なら「青が散る」(小説、テレビドラマ)あたりが挙げられる。ただ、「青が散る」と似た設定もいくつかあるけれど、パクったとか、インスパイアされた、という印象はない。この映画では当時の時代感が見事に再現されていて、四十代の人間には懐かしい限りだと思う。世之介は別にカッコイイわけでもなく、特段魅力的というわけでもなく、存在感があるわけでもなく、最初から最後まで全く普通のどこにでもいる奴だが、だからこそ共感する部分がある。当時では普通のことをそのまま映像化しただけでも、それはそれで滑稽なのだ。そういった、時代に忠実なところが良い。

ところで、横道世之介の現代についての必然性が良くわからない。独特の感情が湧き出てくるのは間違いない。しかし、一方で、「そういう設定にしなくても良かったのではないか」という気持ちも出てきてしまう。作者の意図がどの辺にあるのか、ちょっと興味があるので、後日原作小説を読んでみたいと思う。

この映画では、意図的に「何年の話なのか」を隠している。ところが、ラスト近くで○○年ということを明確にするシーンがある。それまでの音楽やら、広告やら、様々な情報の断片から、「私の生きていた時代(1985年大学入学)に近い」と感じてはいたものの、それを明確化せずにいて、しかしラスト近くではそれを明示してしまうという演出の意図も良くわからなかった。もし監督のティーチインがあればこの点を質問しただろう。

全然関係ないのだが、「電書で読もうかな」と思ってKindleを探してみたら、横道世之介のKindle版は普通のと文春文庫版があって価格が50円違う。これはどういう理由なのだろう?

瑣末な謎をいくつか書き連ねたけれど、個人的には大好きな女優の一人である吉高由里子が活躍していたし、高良健吾もなかなか良い味を出していた。脇を固めているベテラン俳優たちも存在感があった。脚本の出来も良く、松葉杖の誤った演出さえなければ、満点で評価しても良い映画だった。評価は☆2つ半。

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