秦組vol.5『タクラマカン』
秦組vol.5『タクラマカン』を観てきた。
秦組のサイトで過去の上演記録を見ると何度も上演している作品なので、それなりに練られているはず。さて、どんな作品なのかと観客席に座ったのだが・・・。芝居は仮想国の被差別住民と、治安部隊の確執を描いたもの。ストーリーにはそれほどひねりがなく、難解な部分は特にない。
冒頭のシークエンスを観ただけですぐに「役者の質にばらつきがありすぎ」と感じた。事務所の都合で押し込まれた役者が何人かいたのかもしれないが、この箱では到底無理、というレベルの人が混じっていた。
続いてすぐに「?」となったのが、大勢で声を揃えるシーンである。僕は第三舞台の昔からこの演出があまり好きではない。なぜなら、何を言っているかわかりにくいからである。もちろん、役者のレベルが高く、きちんと演出されていればその限りではないのだが、効果的に使われている舞台をほとんど観たことがない。この舞台でも、何を言っているかさっぱりわからなかった。それが冒頭のシーンで使われてしまうので、劇に入っていけなくなる。ある程度ストーリーが把握できてきた段階での演出なら脳内補完できるのだが。後半で登場した、三人ぐらいで声を合わせるシーンではちゃんと聞き取れたので、演出の問題である。あと、役者の数が多いせいなのか、不自然にセリフを分割していたのも気になった。
加えて、役名に統一感がなく、一層ストーリーに入りづらい。
芝居の最中では怒鳴るセリフが多すぎて途中で食傷気味になる。普通の喋り方では後ろまで声が届かないのかもしれないが、常に青筋を立てているような感じで、メリハリがなく単調だった。また、100%で喋り続けた上で120%で怒鳴るセリフがあって、これは単独でも何を言っているのかわからなかった。大きな箱ということで実力以上の声量を要求したのかもしれないが、役が役者の能力を引き出すのにも限界がある。特に、声は厳しい。芝居においてセリフが聞き取れないのでは話にならない。もしかして僕だけ?と不安に思ったが、同行した他の4人が皆口を揃えていたので、N=5において100%が「聞き取り難い」と感じたことになる。
主役の身体のきれは十分だが、それを全然活かせてないストーリーだった。セリフ量も少なく、主役というのはチラシの記載の順番とカーテンコールの立ち位置だけ、という感じである。実質的な主役は築山万有実だった。主役が多忙なアイドルということで、練習時間が満足に取れず、詰め込むセリフに限界があったのかもしれないが、これで矢島舞美ファンは納得するんだろうか。役者で言えば、築山以外だと藤原習作、横山一敏は安心して観ることができた。
決め台詞が有名なセリフ(翼よ! あれが巴里の灯だ)のパロディなのはどうなのか。
音楽もイマイチ効果的でない。ピアノの音量が前面にですぎていて、三味線の存在感がなかった。
全体的に熟成度が低く、一部役者を入れ替えて、脚本の駄目出しをして、編曲をやり直し、半月ほど練習をした方が良いんじゃないかな、と思った。というか、もともとちゃんとしていた芝居に多忙なアイドルを無理やり押し込んでダメにした、という感じの舞台だった。
評価は☆1つ。6月10日(月)まで、東池袋のあうるすぽっと。
と、ここまではレビュー。以下の追記はおまけ。
今回の芝居のスタートは多分矢島サイドからのオファーなんだと思う。「らん」の評判が良かったので、彼女の芸域を広げる意味、新しいファンを獲得する意味、演劇ファンの中においても知名度をアップさせる意味などなど、様々なメリットを考えたんだろう。しかし、この役割は、誰でも果たせるわけではない。彼女にフィットする作品を書き、演出し、彼女が魅力的であることをアピールできる人材が必要だ。
一方で秦氏は、これまでテレビ番組の多くの脚本を手がけていることからもわかるように、業界関係者の中での評判がとても良い。何より、役者受けが良いようだ。それはアンフェアの主役を篠原涼子自らがやりたがったことからもわかる。彼がなぜ業界受けが良いかといえば、わがままを聞いてくれるからである。僕も、誰とは言えないけれど、有名俳優の映像コンテンツの制作をやったことがあるのだが、もう異常なくらいに大変だった。役者も一流になると、「自分がどう見えるか」が一番大事になる。作品の完成度よりも、自分の見え方が重要になる。日本のエンタメ界において一番偉いのは有名俳優で、彼らのわがままをどこまで実現できるかで、監督や脚本家の評価が決まる。秦氏は、そういった俳優や事務所の意向と、自分の創作物に対するこだわりとのバランスの取り方、さじ加減が絶妙なんだと思う。
そして、「らん」は、確かに良かった。
なぜかって、多分、「らん」は矢島舞美にあて書きできたからだ。コンテンツメーカーとしては、他者から与えられる材料は少なければ少ないほどやりやすい。好き勝手に創作できるのが一番楽なのだ。例えば僕のパロディ作品も、「買い占めするならカネ送れ」とか、「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ」などの質が一番高い。後続の作品はどうしても制約がでてくるので、クオリティが下がってきてしまう。
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今回のタクラマカンは、矢島舞美が主役、秦氏が大好きな三味線の生演奏、アイドルのファンたちを収納するには最低限で、秦氏が育成している役者達にはちょっと大きすぎる箱、秦氏自身が新作を書く時間がない、といった様々な制約があったんだと思う。
特に主役の部分では、忙しくて大勢での稽古時間が限られる、体が動くのが魅力なのでそれを見せたいという事務所の意向がある(=すなわち、殺陣の練習に時間が取られ、他の役者との会話シーンの練習が削られてしまう)、集客力はあるのでできるだけ大きな箱でやりたい、といった彼女特有の事情があったのではないか。芝居を普通の人よりは少し多く、少し長く観てきている僕から見ても、矢島舞美は非常に良く体が動くし、声もそこそこ通るし、芝居も下手ではないし、何より一所懸命やっていることが伝わってくるので、可愛いだけで下手くそで、でも事務所の力が強力なので赤坂ACTシアターで主役をやれてしまった、みたいな俳優とは一味違っているとは思う。でも、どんな天才だって、あれも、これも、というわけにはいかない。日ハムの大谷が投打ともにまだまだなのと一緒である。
ともかく、「らん」よりも格段に制約が多かったんだろう。そして、それらを考慮して、調整の達人である秦氏が出した回答が、タクラマカンの再演、ということだったのだろう。しかし、いくら秦氏が達人とはいえ、これだけの制約をクリアするのは困難だ。周囲を固める重要な脇役に、彼が信頼しているベテラン俳優たちを配したとしても、どうにもならなかったんだと思う。
矢島ファンの多くは演劇のファンではないので、今回ぐらいのクオリティでも満足する可能性が高い。「新しい舞美ちゃんを観ることができた」「生声を満喫できた」「前かがみになったときの胸元が、俺の席から一番良く見えた」「何しろ、同じ空間、同じ時間を共有した」といった、芝居ならではの楽しさを満喫できたかも知れない。
置いてきぼりになったのは、単に「質の高い芝居を観たい」と思っている、僕のような演劇ファンである。あぁ、調整の達人、秦建日子をもってしても、今回はこのレベルだったか、というのが正直な感想である。
野田秀樹レベルの劇作家だってハズレはあるので、誰だって百発百中になるわけがない。今回はハズレ、次回はこれを教訓にして頑張ってね、という感じである。矢島舞美のスケジュールの確保が難しいなら、次回はまた「らん」をやっておくのが無難だろう。「いやいや、新しいことを!」というのなら、秦氏はきちんと彼女が主役であることを前提にした新作を書くべきだし、矢島舞美はきちんと稽古の時間を確保すべきである。
Posted by buu2 at 23:59│
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