政治家向けネット利用のTIPS
●理念を明確に
自民党の政治家の話を聞いていると、良く「生活者の方々の話に耳を傾けて」というフレーズを耳にする。これは、「主義主張」という面では本末転倒である。政治家たるもの、確固たる信念が先にあるべきで、生活者の意見によってこれがコロコロ変わってしまうのはおかしい。ただし、巷にある細かい問題に関する情報収集ということなら、話は別だ。どういう事例があるのかを細かくサーベイして、それを自身の理念に照らして対応を考えるというなら、どんどん話を聞くべきだ。
ポイントは、基本理念は一本筋を通したら、それをコロコロ変えるべきではない、ということだ。基本理念は、判断に迷った時に立ち返るべき性質のもので、それがないのなら、そもそも政治家になるべきではない。
ネットでの対応は、即時性が求められる。また、反応はあって当たり前で、何か投げかけられた時にすぐ反応しなければ、投げかけた側はストレスを感じるし、同時に不信感を持つ。では、即時対応のためには何が必要か。「理念」を持ち、それを詳らかにしておくことである。政治家のネット活動においてはこれが一丁目一番地である。
●柔軟性と、説明責任
理念を持つことは絶対だが、これは絶対に変えてはいけないわけではない。前提条件が大きく変わった場合は、理念が変わることもありうる。例えば原発が爆発したという事象を経験した時、自身のスタンスが変わってしまうことはありうる。
ただし、ホイホイ変わってしまうのは問題だし、それまでの理念を変えるなら、相応の説明責任がつきまとう。多くの生活者が、「そういうことなら仕方がない」と納得できるような説明が必須である。
●ソリューションを持つ
先日、知り合いの横浜市議が「車椅子生活者が困ったとき、相談できる人がいない。区内の障害者は約5,000人、一方で担当の区役所員は3人である」とFacebookで書いていた。僕が、「では、税金を増やすべきですか?」と質問すると、「それはダメです」との回答。続けて「では、どうしたら良いのですか?」と聞くと、「今、考えています」とのこと。これではダメだ。政治家は、自身のソリューションをきちんと持つべきだし、それがないのなら、こんな情報を発信するべきではない。
「問題があります。でも、解決策はありません」
これでは、それを読んだ生活者は不信感を持つ。なぜなら、問題の指摘は、評論家の仕事であって、為政者、実務者の仕事ではないからだ。
問題を指摘する以上は、たとえ間違っていても良いから、解決策についての持論をセットにすべきである。
●わからないことは、わからない
何がわかっていて、何がわかっていないのか、何が科学的で、何が科学的ではないのか、これは明確である。一方で、何が正しくて、何が正しくないのかは明確ではない。少なくとも、明確な部分については、それを受け止める必要がある。特に、科学的ではないことについては「科学的ではない」、科学的に実証されていないことについては「科学的には明確でない」という立場を取る必要がある。例えば、放射線の低線量被曝の健康被害についてはまだデータが十分ではなく、科学的には「わからない」。もちろん、わからない中でも判断しなくてはならないこともある。わからないから判断しない、ということではなく、わからないけれど判断する、という姿勢を表明することが必要である。その判断が、為政者の責任であり、覚悟なのだ。
例えば、厚生労働省の肝いりでスタートした特定保健用食品(トクホ)という制度がある。制度上、様々なハードルが用意されてはいるものの、トクホの有用性についてはわからないことが多い。
参考:高橋久仁子さん緊急寄稿! 「あしたのジョー」を信じていい? キリンメッツコーラの問題点
www.foocom.net/special/6893/
この事例などは非常にわかりやすいが、科学的に有用でも、実質的に有用ではないものも多いし、科学的な知見を拡大解釈しているケースも多々ある。大事なことは、どこまでが科学で、どこからが科学ではないのか、その線引きである。食品に関して言えば、大規模な疫学調査で有用性が認められた物質というのは僅少であるということを知っておくべきである。
●発言は訂正できても取り消せない
ネット上の情報は、一度発信したら削除するのは非常に難しい。特に問題発言は、様々な形で保存され、転送される。「一度発信したら最後、削除することは不可能」というくらいの覚悟が必要だ。だから、情報の発信にあたっては、細心の注意が求められる。
参考事例:http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51330553.html
では、訂正できないのかといえば、そんなこともない。お詫びして訂正すれば良いだけである。ただ、これを連発するのはかなり格好が悪い。可能なら、日本語が得意で、第三者的視点でアドバイスできる人間にフィルターをかけてもらう方が良い。
あとで天に唾を吐いていたなどとならないように。
●ブレイン選びも重要
きちんとしたブレインをつけるべきである。その際、政治的な主義主張などどうでも良い。あくまでもソーシャルメディアの運用能力で評価すべきである。
#ご用命は株式会社ライブログまで(笑)
●何かあったらすぐに対応する
周囲は味方ばかりではない。何か文句をつけられたら、なるべく早く対応する必要がある。これがTwitterぐらいならスルーしても構わないこともあるが、自身のブログやFacebookなどの場合は無視はダメである。また、急いで対応するにしても、必ずブレインに相談することを忘れずに。慌てず、急いで、正確に。
●誤字脱字は絶対にダメ
変な日本語を使っていると馬鹿にされる。Twitterなどでつぶやくときも要注意である。また、文法的に正しければ良いと勘違いしている人も見受けられるが、文法だけではなく、文体も重要である。日本語能力に自信がない場合は、必ず添削してくれるスタッフを用意するべきである。
悪い例として、片山さつき氏のTwitterが挙げられる。
また、誤字脱字がダメなのはあたりまえ。Wordで原稿を書けば、怪しい部分には赤い下線がひかれるので、それを参考にすると良い。ら抜き言葉などは言語道断であり、日本語を大事にしていない、イコール日本を大事にしていないと断じられても文句をいえない。
テキストで伝える以上、正確なテキストを使うことは必須である。
●ネット利用は「先行」と「継続」
ネットの情報発信の効果は、なかなか顕在化しない。その威力は徐々に発揮される。一方、長時間かけて作りあげたブランド力は、容易に逆転されることがない。地道な作業によって築き上げられた地位は、簡単に逆転できない。つまり、早めにスタートして地道に継続することで先行逃げ切りが可能だし、逆に出遅れた場合、追いつき、逆転するのは非常に難しい。
また、ブランドを築きあげるのは非常に大変だが、失敗によって転げ落ちるのは瞬時である。
●新しい支持者を獲得するためのツールではない
基本的に、ソーシャルメディアは「既存の人間関係のメインテナンス」のためのメディアで、同時に「新しい敵を作る」メディアである。メインテナンスには大きな力を発揮するが、「新しい支持者」を獲得することは非常に難しい(新しい敵は比較的簡単に作ることができる)。したがって、もし利用するなら、あくまでも既存の支持者に対しての情報発信に注力すべきである。その範囲においては、使い方次第できちんと効果が出る。
●ストック、フローを使い分ける
ブログ、Twitter、Facebookの特徴をまとめると次のようになる。
ブログは文字数に制限がなく、誤解されることを回避しやすいメディアである。検索性に優れたストック文化の代表であり、有効活用することによって政治家としての立ち位置を明確にすることができる。継続には情報発信力が要求されるし、発信した内容は基本的に撤回、訂正できないので、それなりの覚悟が必要である。
Twitterは簡潔に伝える、タイムリーに伝える機能に優れている。典型的なフロー文化のメディアで、不特定多数の共感および反感を得るのが容易である。また、継続も容易である。ただし、脊髄反射での情報発信となりがちで、“馬鹿発見器”としての色彩を濃く持っている。有能な人を見つけることも可能だが、世間は無能な人を見つけるほうが好きなので、注意が必要である。
Facebookは日本においてはムラ社会を助長させる傾向が大きい。性質はかなりフロー寄りなメディアである。継続には慣れ合える友人が必要だが、その点、政治家向きである。慣れ合いが背後にあるので、ついつい軽はずみな発言をしてしまうようで、結果的に“馬鹿発見器2.0”的な色彩を持っている。実際、Facebookをやっていると「こいつ、こんな馬鹿だったのか」という発見は時々ある。
●匿名性を過信するな
基本的に、政治家によるネット利用は実名で行われ、自身のアピールに使われるはずである。ところが、質の低い政治家は、ネットの匿名性を利用して他者を貶めることに利用するケースがあるようだ。ところが、ネットの匿名性はそれほど強固なものではない。ちょっとしたことで発言者が特定されてしまうことがあるし、特定された場合、非常に恥ずかしい思いをすることもある。
参考事例:自民・平井氏ネット党首討論に投稿 福島氏に「黙れ、ばばあ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013062902000121.html
ネットの匿名性は非常に脆弱であることを認識する必要があると同時に、政治家たるもの、匿名でしか言えないようなことは実名・匿名の別なく、発信すべきではない。