2013年07月11日

ブログでバイオ 第81回「適切な科学報道に必要なもの」

バイオに限定した話ではないのだけれど、ブログでバイオ枠で書きます。

すげぇ昔のものなんだけど、こんなまとめを発見した。

科学報道を殺さないために−研究機関へお願い
http://togetter.com/li/391591

Twitterというフロー文化圏の話なのでもう解決しているかも知れないし、そもそも議論にもならなかったのかも知れないけれど、念のため(今更だが)、理研の横浜研究所の広報担当、その後に理研和光本所広報室にいた僕が簡単に意見を書いておく。




「科学報道は死にます」という意見には、即座には、同意できない。大学や研究機関の広報室の機能がきちんとしていれば、科学報道が死ぬことはない。僕は東工大で分子生物学の修士を修了して三菱総研に入社、バイオの専門家として理研に出向し、ゲノムセンター(後の横浜研究所)の立ち上げを手伝い、理研のバイオ研究全般の広報を担当していたけれど、研究者と報道関係者のパイプ役はきちんと務めたし、その時の活動の一部は拙著「親と子のゲノム教室」という書籍にまとめた。何が言いたいかといえば、きちんとしたパイプ役が存在すれば、広報室は窓口として機能するということだ。ただ、僕がバイオ以外のこともきちんとフォローできていたかといえばさにあらず。僕はスーパーマンではないので、わかるのはバイオ領域のみだった。分野ごとに人材は確保しておく必要があるだろうし、じゃぁ当時の理研広報室にバイオ以外の分野の広報専門家がいたかとなると、それはちょっと疑問である。つまり、「科学報道は死にます」という言葉は、現状の各大学・研究機関の広報体制を前提とするなら、正しいのかも知れない。




これをやっていれば、ライターは育つかも知れない。でも、研究者の仕事はライターの育成ではない。一方で、研究者たちは研究費の確保に四苦八苦していて、そのためには自分の研究の有用性をきちんとアピールする必要があることを、自分で研究費を確保するレベルの研究者(理研なら主任研究員クラス)なら理解している。これがポスドクレベルになってくるとわかっていない人もいるようだけど、良いライターに、研究内容について魅力的に書いてもらうことは、研究者にとっては間違いなく有用だ。良いライターは、研究者にとっては間違いなく武器なのである。良い流れは、研究がライターを育てライターが研究を後押しするような「共存関係」なのだが、その仕組みを後押しするだけの余裕が日本の社会にはない。例えば一昨年僕が出した「遺伝子組み換え食品との付き合いかた」という本はサイエンスライターとしての立ち位置から出した本だが、同時期に出した「総統閣下はお怒りです」というサイエンスコミュニケーターとしての立ち位置から出した本に比較して、大分売れ行きが悪い。日本の生活者たちは、まだ科学にそれほど期待していないというのが僕の実感である。そして、生活者の理解こそが科学の推進力だし、それがあれば研究者とライターの良好な関係も構築されていく。残念ながら、今の日本にはサッカーや野球を楽しむ余裕はあっても、科学を楽しむ余裕はないというのが僕の認識だ。その中で、どうしたら良いのかを考えなくてはならない。




これは、広報室の機能が不十分だから。きちんと機能していれば、発表からだってわかるはず。




そもそも、研究の妥当性を検証するのは広報室の役割ではない。あと、繰り返しだけど、記者を鍛えるのは研究者の役割ではない。例えば僕は研究者から鍛えられた覚えは全くない。なぜなら、僕は三菱総研時代、全部一人で情報収集し、それをまとめていたからだ(まとめは三菱総研の所報に「研究ノート」として発表したりしたけれど、今では多分見ることができない)。研究者にアクセスしたことは、大学時代の研究室周辺を除けば、一度もなかった。




気持ちはわかるけど、これは違うでしょう。ただ、一流のライターが、個人的なつながりを形成していくのは勝手。バイオ領域で言えば、例えば宮田満さんはそこそこのレベルまでこれができると思うし、僕だってある領域については可能だったりする。パイプを持っていることは、すなわちライターとしての能力に他ならないわけで、表向き「広報室を通してください」というのは当たり前だし、一方で個人的なつながりがあるなら、「こっそり教えてよ」とダイレクトにアクセスするのも勝手。研究者サイドから、「ちょっと、これを書いてくれない?」とオーダーが来たりもするわけで、要はライターの能力次第である。能力が不十分で、研究者へのパイプが何もないなら、それは広報室を通すのが当たり前。




それを何度も、ライターごとにやらされたら、研究者はたまりませんよねぇ。




議論は学会でやれば良いのでは?




全然関係ないけれど、「やらずぼったくり」としないところは好感。




応じるのは面倒くさいなぁ、という意見が研究者サイドから出てきたから、取材を一元管理せよ、という話が出てきているんだと思う。僕が理研にいたときも「研究室に直接問い合わせが来ると迷惑」という話は良くあったから。

大学や研究機関で、きちんと科学がわかる広報担当者を雇えば良いだけのことだと思うんだよね。ポスドクが余って仕方がないというのなら、広報をやる人材ぐらいはいるんじゃないのかなぁ。もちろん、誰でもできる仕事ではないけれど。

って、僕はこういうことをやりたいと思って理研の理事に立候補して書類審査で落ちたことがあるんだけどね(笑)

参考:ブログでバイオ 第69回「理研の理事の公募に応募したら、書類選考で落ちた」
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50996943.html

僕は、「研究者と接する機会を奪わないで」とお願いするんじゃなくて、「一元化するなら、ちゃんとした窓口を作ってください」ってお願いするのが筋だと思う。

こちらもよろしくお願い致します。
  

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この記事へのコメント
特定の研究者のみと密接すぎる記者って、怖いですよね。

最初はもちろん全方向的関係の構築を狙うのでしょうが、そんなのは建前にしか成りえないので。ほとんどの研究者はそんな記者を育てる時間をわざわざ割くなんて無理なわけで、最終的に極一部の研究者としか付き合えなくなるのは目に見えている。

特定研究者との持ちつ持たれつの関係が続くと、その一部の研究者、一部の業界の言いなりになって、対立する意見や他分野の話題を公平に取り入れずに提灯持ちの記事ばかり書くようになる危険性が一番問題。

まずはきちんとした広報を各研究機関が持つべきという意見に賛成。

研究経験がある博士号を持った広報担当者が理想。
Posted by 通りすがりの研究者 at 2013年07月12日 03:30
そう言えば、物理学に関してだけでも他誌に比べて日経サイエンスで天文学、超弦理論や物性物理等の分野の特集をあまり(ほとんど?)見ない。これは記者さんがお付き合いしている研究者の分野が限定されていることが原因なのか?

今が旬の分野の研究者は本業で忙しいから、ここで出てくる記者さんのタイプには付き合う時間はないはずで、それからくる現象なのかな。

村山さんとか大栗さんとか、本業も凄いレベルでこなす化け物研究者がポピュラーサイエンス本を出す時代になったから、科学系商業誌も大変かも。
Posted by 通りすがりの研究者 at 2013年07月12日 03:53
> 村山さんとか大栗さんとか、本業も凄いレベルでこなす化け物研究者がポピュラーサイエンス本を出す時代になったから、科学系商業誌も大変かも。

自分で情報発信できる人は、書籍なりネットなりでやってしまいますからね。サイエンスをテーマにした商業誌はお先真っ暗だと思います。でも、能力があるライターなら、いくらでも仕事はあるはずです。
Posted by buu* at 2013年07月12日 13:42