あまちゃんはTwitterにフィットしたドラマだった。というか、Twitter世代を意識して、ああいう作りにしたのだろう。どこがといえば、コネタを大量に盛り込んだ点だ。この手法自体は別に珍しくもなく、例えばつい先日電子書籍化された僕の「総統閣下はお怒りです」などもこの類のコンテンツである(ステマ)。
この本、Amazonのレビューを読むと「ただガンダムが好きなだけ」と評されていたりするのだけれど、実際にはガンダム以外にも、エヴァやら、銀英伝やら、AKIRAやら、スター・ウォーズやウルトラマンシリーズまで、様々な作品のパロディを盛り込んでいるのだけれど、読む人がガンダムしか知らなければ、それらはそのままスルーされてしまう。結果として、ガンダムだけが残るので、「ガンダムのパロディ本」などというトンチンカンな評価を下されてしまう。
ネタバレの事例はこちら参照:総統閣下はお怒りです 「500円で突っ走れ!」 のネタバレ
http://buu.blog.jp/archives/51349760.html
あまちゃんも、作りとしては同じだ。しかし、同時に大勢の人間が視聴しているという点で、圧倒的に特徴的だった。おかげで、大勢の人間が、自分が気が付いた小ネタについてつぶやくという現象が生まれた。何の説明もなく、額ににげんこつをあてて「どうもすいません」と小泉今日子が喋ったりするので、それを見てネタに気が付いた人が「あーーーっ」などと書くわけである。ドラマに興味がなかった人も、なんだ、なんだ、ということになる。そして、その環に入りたいと思う人も少なくなかったはずだ。
この様子を見ていて、あぁ、日本人のマインドと、Twitterという仕組みを上手に利用しているなぁ、と思っていた。日本人のマインドとは、他者と同化したがる、というアレである。僕などはあまのじゃくなので、他人と同じ感想を持つというのはどちらかと言えば恥ずかしく感じるし、誰かが同じ意見を表明していたら、「そうだ、そうだ」と同調するのも個性がなくていかがなものかと思ってしまうのだが、大多数の日本人はそうではない。だから、自分と同じ意見を見つけては喜び、同感するとそれを一人でも多くの人と共有したいと考えて、公式RT(他人のコメントを自分のフォロワーにそのまま転送すること)する。
「テレビとネットの融合」というのは古くから言われているのだが、テレビとネットでの議論は成立しない。「どうやったらテレビとネットを上手に融合し、相乗効果を生み出すことができますか?」という問に対しては、「ネットに対してテレビがネタを提供すること」が、模範解答なのだろう。そして、その答にいち早く気がついたという点で、「あまちゃん」は見事だったと思う。
ただ、僕はやはりラスト一ヶ月はあまり好きになれなかった。明日、地震が起きる、という時点で終了していたら、と思う。
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