「お金がかかるのは変」 無料の受験動画サイト「manavee」作った東大生 プログラミング未経験から5万人が使うサイトに
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1311/22/news049.html
企業組織の役割は極論すると大きく2つしかない。一つは雇用を生み出すことで、もう一つは税金を納めることだ。では、このmanaveeはどうなのか。記事を読んだ限りでは、運営費用の月数十万円は花房氏のポケットマネーと寄付。この利用先はサーバ代、設備費、広告費などで、講師には当初1講義1,000円を支払っていたが、今はボランティア。サイトは完全無料で、広告は掲載しない。何しろ、「サイトに広告を貼ったら、リテラシーの低い人がクリックしてしまうかも知れない」と考えるような具合である(笑)。この考え方の頭の弱さ具合が理解できない人には下記を読んでもらうとして、
参考:B to Cの関係をどうやって再構築していくか
http://buu.blog.jp/archives/51219044.html
雇用も生み出していないし、納税額もゼロであることが容易に想像できる。
こういう活動は一見恵まれない子供たちに向けた有益な活動のように見えるが、実際には社会へのテロ行為と同じである。本来有料で提供されるべき役務が無料で提供されるのだから、これが大規模になるなら、受験産業に与えるインパクトは小さくない。例えば「河合塾や駿台、東進に行くよりも、このサイトで」となれば、予備校に損害が出る。そもそも、独占禁止法の不当廉売に当たる可能性はないのか、古美門研介氏に聞いてみたいところである。
2 不当廉売規制の目的
独占禁止法の目的は,いうまでもなく公正かつ自由な競争を維持・促進することにあり,事業者が創意により良質・廉価な商品又は役務(以下単に「商品」という。)を供給しようとする努力を助長しようとするものである。この中でも,企業努力による価格競争は,本来,競争政策が維持促進しようとする能率競争(良質・廉価な商品を提供して顧客を獲得する競争をいう。)の中核をなすものである。この意味で,価格の安さ自体を不当視するものではないことは当然であるが,逆に価格の安さを常に正当視するものでもない。企業の効率性によって達成した低価格で商品を提供するのではなく,採算を度外視した低価格によって顧客を獲得しようとするのは,独占禁止法の目的からみて問題がある場合があり,そのような場合には,規制の必要がある。正当な理由がないのにコストを下回る価格,いいかえれば他の商品の供給による利益その他の資金を投入するのでなければ供給を継続することができないような低価格を設定することによって競争者の顧客を獲得することは,企業努力又は正常な競争過程を反映せず,廉売を行っている事業者(以下「廉売行為者」という。)自らと同等又はそれ以上に効率的な事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあり,公正な競争秩序に影響を及ぼすおそれがある場合もあるからである。
引用:不当廉売に関する独占禁止法上の考え方(公正取引委員会)
http://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/futorenbai.html
manaveeの場合、無料でサービスを提供していることから、マーケットへの影響が懸念されると同時に、サイトのコンテンツのクオリティが維持できるのかという問題もある。間違った授業や、質の低い授業を展開した場合、その責任の所在が不明確である。質の維持には当然コストがかかるわけで、そこをボランティアに頼るなら、普通に考えて、質は維持は難しくなってくるはずだ。大体、このサイトで良い授業を展開できる人材なら、普通に学校や予備校の講師をやるはずで、その人達がボランティアで労務を提供できるとしたら、その人たちはどうやって生活しているのだろう?日本はなぜかボランティアを過大評価する風潮があるのだが、どこでもかしこでもボランティアが仕事してしまうと、社会のシステムは崩壊する。
仮に寄付が多く集まって、manaveeがしばらく運用されてしまうと、大学受験産業にも影響を及ぼしかねない。普通に考えれば、多様なビジネス展開を図っている事業体はその損失を他所からの収益で補填できるが、それができない体力の弱いところから退場を強いられていくので、市場は寡占化が進む。一方で、寄付に頼って基本無料で運営されるサイトが安定して継続できる可能性は非常に低いので、やがてサイトは運用が停止される。そのとき、残されるのは不健全な形で成長した受験産業界になる。
「やりたいという人がいるんだから、労働の対価は無償でお願いする」というのは労働力の搾取であって、ボランティアだろうが、インターンシップだろうが、なるべく避けるべき手段なのである。もしこれが許されるなら、キャビン・アテンダントも、テレビのアナウンサーも、事業主は全部ボランティアで済ませてしまうことが可能だろう。「財産はあるので、お金は要りません。その代わり、テレビで喋らせてください」という人は必ず存在するはずだ。でも、実際にはそこまでの事態にはならない。それは、日本社会の企業体が、きちんとしたモラルを持っているからに他ならず、それをやらない会社はいわゆるブラック企業の烙印を押されることになる。
こういうことを世間知らずの学生がやるのは仕方がないのだが、大人がちやほやするのは全くいただけないし、こんな風にポジティブに記事にするのもどうかと思う。これが許されるなら、「夜中にタクシー待ちで苦労している人がかわいそうなので、無料で送迎してあげる事業を立ち上げよう」などと考える人が現れかねない。そのあたりの法的な検討は専門家にやっていただくとして、僕たち一般生活者は、「ボランティア」や「インターンシップ」と耳にした時、「それを無償の労働でまかなえば、本来存在したはずの雇用が失われるのではないか」と考えてみる必要がある。これがオリンピックやワールドカップといったテンポラリーなイベントならともかく、継続的にサービスを提供していく組織が、その運用に必要な労働のほとんどをボランティアに頼るというのは、正常ではない。