2014年01月08日

朝日新聞の高橋真理子氏がミイラを取りに行ってミイラになっていた件

朝日新聞に「エセ科学 見分けるための七つの基準」という記名記事が掲載された。

(記者有論)エセ科学 見分けるための七つの基準 高橋真理子
http://www.asahi.com/articles/DA3S10914033.html

この記事で書かれている七つの基準は、インドネシアの環境ジャーナリストの言葉を借りる形で次のように書かれている。

(科学 ⇔ エセ科学)
「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」
「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」
「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」
「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」
「証明可能な結果⇔再現性がない」
「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」
「正確な測定⇔おおよその測定」


さっと読むとおおよそのところでは間違っていない印象だが、詳細に見ていくと「はて?」と思ってしまうところが少なくない。そして、この「おおよその部分では正しいが、その中にインチキを混ぜる」ことこそが、エセ科学の常套手段である。そもそも、「これのいくつかに当てはまればエセ科学の可能性大」と書いてしまうのは、まさに「幅広い有用性を主張」していることに他ならない。

この記事を書いている高橋真理子( @marikotkhs)というお姉さんとは面識がないのだが、折角だから情け容赦のない批判をしてみれば、まず、エセ科学を論じるのに必要なはずの「科学」の定義が存在しない。定義とは土俵の設定で、これがなければ相撲を取ることができない。

例えば、

「科学とは、多くの科学者の議論によって、『現時点ではおおよそ正しいと合意できる』と結論づけられたもので、その目的は真理の追求である。議論のためにも、基本的には『再現性』が強く要求される」

といった定義が大前提として存在するなら、

自説を否定するような証拠が存在すれば、自説を検証し、真理に近づく努力をする
より正しい真理に向けて、当事者同士が実験を基に厳しく議論する
真理の追求に向けて、あらゆる可能性を検討する
「現時点」の正しさを追求するために、常に検証を続ける
議論・検証のために再現性が非常に重要視される
実験の結果、考察は不用意に拡大解釈せず、拡大する場合は新たな実験を実施する
実験の精度は常にその時点での最善を尽くす

ぐらいの文章に変わってくるはずだ。定義をしたら、次はその中でどう考えるのかを提示する必要があるが、その肝心の部分は全部他人の言説の引用である。その曖昧な内容をそのまま転載した上で、「「だまされないための七つの判定基準」、使ってみていただけませんか」と、幅広い適用を要望するに至っては、これはギャグですか?と質問したくなる。

きちんとした定義を行わず、自身の説ではなくインドネシアのジャーナリストの言葉を引用し、その上でその中に書かれている「エセ科学」に該当するような判定方法を主張するとは、さすがは大新聞社の編集委員。恐らく、会社の中には彼女を情け容赦なく評価してくれる同僚がいないのだろう。

件の記事を読んで「へぇ」と思ってしまったおっちょこちょいは、まずは一年前に僕が書いた次の記事を読んでおくべきだと思う。

総統閣下はお怒りです「「科学コンプレックスを倒せ」
http://buu.blog.jp/archives/51317446.html

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