野田秀樹がまだ若かった頃に書いた戯曲の上演、主演は毬谷友子、ということで、コレを見逃すわけにはいかない。昨日は渋谷で三谷演劇を観たが、今日は池袋で野田作品である。
一人芝居ということで、毬谷友子がほぼ出突っ張りで、歌に、ダンスに、大量のセリフに、と大活躍である。
僕は、野田秀樹が夢の遊眠社の解散の引き金を引くきっかけになったのは毬谷友子の才能に触れたからではないかと思っているのだが、それくらいに、『贋作 桜の森の満開の下』の毬谷友子は素晴らしかった。それから何度か野田作品や地人会公演で彼女を観ていたけれど、最後になっていたのが六本木で地人会公演として上演された「弥々」(1993)だった。かれこれ20年も経ってしまったのだが、相応に年を取り、声もすっかり低くなってしまい、もうあの夜長姫はここにはいないのだけれど、相変わらずとんちゃんは舞台で張り切っていた。
戯曲については、2002年に鶴田真由主演で上演されているのだけれど、多分その時に野田秀樹自身が、「この本は大竹しのぶや毬谷友子でやらないと、駄目だ」と感じたんだと思う。そして、その配役で、やっと上演することが可能になったわけだ。
物語は、妖精の世界で裁判にかけられ、死刑判決を言い渡されたピーターパンと、彼とともに逃避行を続けるティンクの恋愛を描いている。その姿は、遊眠社以後の野田秀樹の恋愛遍歴に重なる。
一度、渋谷の居酒屋で、芝居の打ち上げで大騒ぎをしている野田地図メンバーと一緒になったことがあるのだが、野田秀樹氏は最近の言葉でいうところの草食系そのものといった感じで、一気をして盛りあがっている役者連中を、楽しそうに眺めながらお酒を飲んでいた。僕は当然のごとく、パンフレットを手にサインをお願いしたのだけれど、野田秀樹氏は「僕はいくらでもサインしますが、役者たちはプライベートなので」と、やんわりと役者に話しかけることを断った。そういうわけで、僕は藤原竜也が使った直後の便器で用を足したことはあるのだが、彼のサインは持っていない。と、そういうことを言いたいのではなく、野田秀樹氏の人柄がわかるエピソードだと思って紹介してみた。
彼は、僕が知る限りで3人の女優と付き合っているのだが、どのケースも、女性の方が野田秀樹氏の才能に惚れ込んだ感じだった。つまり、女性の側が今で言う肉食系だったわけだ。そして、この芝居の中でも、草食系のピーターと、肉食系のティンクという関係ができあがっている。なるほど、25歳の頃に書いた戯曲が、その後の人生を暗示するようなストーリーになっているあたり、三つ子の魂百まで、という感じがしてくる。
芝居は、例によって、詩的な言葉が散りばめられていて、ストーリーは漠然としている。ラストシーンに近づくに従って、徐々にクリアな舞台になり、表現もストレートになり、やがて(比較的)はっきりとしたセリフで物語は終了する。夢の遊眠社時代も、「何がなんだか良くわからなかったけれど、最後のセリフで感動した」ということが良くあったけれど、今回も途中までは言葉だけが散乱していて像を結ぶことはなかった。それでいて、ラストにはきちんとわかったような気になったし、加えて、散りばめられた言葉の中には、後の野田作品につながっていきそうな単語がいくつもあった。遊眠社の最後のセリフは「少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ」である。この芝居をラストに選んだことには大きな意味があったはずだ。そして、今日、この芝居を観て、「あぁ、なるほど、少年は、この頃からすでに自分の意志でそこに居続けているんだな」と思った。
ゼンダ城の虜、小指の思い出、野獣降臨、そして贋作桜の森の満開の下といった名作と比較すれば間違いなく小品だと思うけれど、野田秀樹にとっても、それを演じた毬谷友子にとっても、そして、観客としてそれを観た僕にとっても、個人的な芝居だったと思う。
今回はダブルキャスト。毬谷友子ともう一人は奥村佳恵である。彼女のバージョンのチケットは、まだ残っているだろうか?