2014年02月23日

男子スラロームの主役

ソチ五輪の男子スラロームはまれに見る泥レースとなってしまった。それを演出したのは、セッターを担当したクロアチアのコーチ、コステリッチである(ヤニツァ・コステリッチ、イヴィツァ・コステリッチのパパ)。

ただでさえ急でハードな斜面だったのだが、そこにとんでもない旗門をセットしたおかげで、選手たちの完走率が著しく下がってしまった。おかげで、完全なサバイバルゲームとなってしまい、一本目の記録などはほとんど意味がないものになってしまった。

実は僕も同じような場面の当事者になったことが、一度だけある。それは確か大学3年の時で、栂池で開催された東京地区国公立大学スキー大会のスラローム競技だった。その時、一本目のセットが異常にインターバルの広い設定になっていて、まるでジャイアントスラロームのようだった。GSの試合も別途行われていたので、一本目が終わった後、選手会がセットを担当した栂池スキースクールに、「二本目はもうちょっとスラロームらしいセットにしてくれ」と要望を出した。その要望にへそを曲げた栂池スキースクールは、一本目の三倍にも及ぶ本数の旗門をセットした。そのセットは一本目はもちろん普通のスラロームと比較しても異常に間隔が狭く、僕は、ゴールに到達するまでに2回転倒した。二本目に出走した全選手の中で、転倒しなかったのは2人だけで、3位の選手ですら1度転倒したという、異常事態となった。この一件以後、僕は栂池が大嫌いになった。

アルペンスキーという競技は、基本的にはセットに文句を言うべきではない。選手は、ポールが立っているところを黙って滑れば良い。今回も、きちんとゴールした選手は何人もいたし、優勝したのは一本目にラップだったマリオ・マットだったのだから、速い選手がきちんと結果を出したとも言える。上位に並んだ選手たちは、確かにこのところ調子の良い選手たちだった。しかし、スタートバーを切ってピステに飛び出していく選手たちが次から次へと途中棄権してしまい、まともにゴールした選手が数名しかいないというのはいかがなものか。少なくとも、テレビでレースを観戦していても、面白いレースではなかった。選手はもちろん、多くの観戦者も、このセットには納得がいかなかったと思う。選手たちはこのレースに向けて長い時間をかけて調整してきたはずで、その努力がほとんど実を結ばないのでは、虚しいとしか言いようがない。それを観ている僕たちも同じだ。

今回のスラロームは、主役が選手ではなくセッターになってしまった。こんな不幸なレースは、もう観たくない。

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