チェーン展開できるほどの店であれば、ベースになっているラーメンの味はそこそこであることが多い。中にはちりめん亭のように、他業種からの参入などの例外もあるが、普通はまず美味しいラーメンが存在する。それをどうやって多店舗に展開していくかだが、ここで大きなハードルがいくつも存在する。これを乗り越えるのは非常に難しく、結果として、フランチャイズを含め、チェーン店のラーメン屋には期待ができなくなる。そのハードルとは、主に次のようなものだ。
1.味の質は、店員の質で規定されてしまう
まず問題になるのは「作り手」の確保である。この問題点をクリアする手っ取り早い方法が「作りやすいメニューを開発する」という手法である。具体的には、沸騰したお湯でぐつぐつダシを取る、太くて良質な麺を採用し多少の茹で時間のばらつきは無視できるようにする、といった工程の単純化である。それでもなお、厨房にはいる人間の質によってラーメンの品質は劣化する。特に営業時間が長い店舗ではばらつきが大きくなりがちだ。
2.臨機応変な味の変更が難しい
一つの工場でスープを大量生産する“セントラルキッチン”以外の業態では、傘下の店で一気に味を変更するのが難しい。店舗数が増えれば増えるほど、保守的にならざるをえない。素材の質は、相手が生き物だから変わってしまうけれど、それに対応することも難しくなる。
3.原料が、大量に仕入れることができるものに限定される
質が変動しない素材を使わざるを得ず、結果的に原材料の調達において大きな制約を抱えることになる。
上に挙げたハードルの内、特に深刻なのは1である。バイトの質を高いままで維持するのは至難の業だし、それを実現するためには高い給与が必要になってくる。その経費は価格に反映せざるを得ず、チェーン店の店主の経営を圧迫する。ではどうするか。質の低いバイトで我慢せざるを得なくなるのである。また、ラーメン作りの工程を単純化した影響はラーメン文化自体にも影響を及ぼしている。おかげで、近年は白湯系のスープ、魚粉を振りかけるだけで味が調整できてしまう魚介系の味付け、つけ麺を含めた太麺が主流となり、客の好みとは別の圧力によってラーメンの均質化が進んだ。
ラーメンチェーンに関して考察する上で面白い事例が、「一風堂」に関するものだ。一風堂は、もともと博多で創業した店だが、ラーメン博物館への出店を機に、おりからの九州ラーメンブームもあり、一気に全国区に駆け上った店である。今や海外を含め80店舗以上を構える一大勢力だが、最大の特徴はかなりのレベルでクオリティコントロールに成功している点だ。中にはとんでもなくダメな店も存在したことがあるが、ダメなままで放置されることはあまりない印象がある。店員の教育もなかなか良く、どの店で食べてもそこそこに満足できる。一方、一風堂がプロデュースで参画した「TOKYO 豚骨BASE made by 博多 一風堂」というチェーン店があり、これは品川、池袋、渋谷といったターミナル駅で展開しているのだが、こちらは一風堂の名前を良く使っているな、と思うほどに酷いラーメンを出している。両者で最大の相違点は店員の質である。このふたつを食べ比べると、多店舗展開においていかに店員の教育が大切であるかが良くわかる。
もうひとつ、店員(スタッフ)の教育が行き届いていて、クオリティコントロールに成功していると感じるチェーン店が、「麺屋武蔵」である。やかましいくらいに怒鳴り散らす店もあって演出過剰な気もするのだが、味の方はほとんどの店で、高いレベルでコントロールされている。
一方、いい感じで展開していたのに、一気にダメになったのが「一蘭」である。すべての店で確認したわけではないのだが、この店は六本木、上野、池袋、桜木町あたりでやっていた、2006年頃までがピークで、以後徐々に大衆化し、この一年ぐらいで一気に劣化した。恐らく、この店が持ち直すことはないだろう。
チェーン店とは言えないかも知れないが、渡辺樹庵氏のプロデュースした店も、質の高い店が多い。それとは知らずに食べて、以前と比較して随分美味しくなったと驚いたら、あとになって渡辺氏がテコ入れに入っていた、ということもあった。彼は「誰でも美味しく作れるラーメン」に関するノウハウを保有しているようで、彼が関わった店ではずれをひくケースはまずない。ただ、一つ残念なのは、多くの店で、似通った構成のラーメンになっていることである。こればっかりは仕方がないところだろう。
この他にも、「大勝軒」や「二郎」のように暖簾分けを繰り返して一大勢力を築いた店があるのだが、暖簾分け系の店はクオリティコントロールにそれほど配慮している形跡が見られず、その質はバラバラだったりする。これらの店は「どこそこの大勝軒はうまい」「どこそこの二郎はだめだ」といった具合に、地名とセットになって言及されることが多い。
ファミレスタイプのラーメン屋もひとつの勢力で、「幸楽苑」や「日高」といった低価格、家族向けの店舗も、都内のあちこちで見つけることができる。これらの店はターゲットが僕のようなラーメンオタクではないので、5年に一度も足を踏み入れたりはしないのだが、コストパフォーマンス“だけ”は素晴らしいので、味のわからない子供を連れて行くとか、お金のない学生には良いのかも知れない。
最近はチェーン店同士の統廃合もあるようで、「元祖札幌や」と一部の「大勝軒」、もしくは「花月嵐」と「ちゃぶとん」が同じ系列だったり、あるいは「船見坂」と「金丸」と「味源熊祭」のように全く異なる店が同一資本だったりと、かなりややこしくなっている。総じて言えるのは、チェーン化すると味が落ちる、ということだろう。とはいえ、チェーン化しなくても味が落ちることは珍しくないのがラーメン店なので、このあたりの因果関係は多分に気分的なところを含んでいるはずだ。
だいぶ前に「ラーメンブームはそろそろ終了」という指摘をしたのだが、その傾向はさらに顕著になってきている。例えばここ数年の間に僕が出版したグルメ本の売れ行きを見ると、ラーメン本よりもとんかつ本の方が一桁多く売れている。もうすでに、ラーメンは味としても、情報としても、食いつくされているのだ。もちろん、ラーメン屋がなくなるわけではないのだが、「とりあえずラーメンを扱えば視聴率が取れる・本が売れる」という時代ではなくなった。これまでファミレスや牛丼屋の代わりに勢力を伸ばしてきたラーメン屋も、その多くは徐々に縮小傾向になってくると考えられる。そのとき強い逆風にさらされるのが、「どこで食べてもそれなり」ぐらいの、特徴のないチェーン店だろう。
最後に、僕の個人的な「チェーン店の良し悪し」を見分けるポイントを書いておくと、業務用の添加物入りにんにくをテーブルの上に置いているかどうか、である。これを使っている店は味よりも利便性と収益を追求しているので、基本的に二度と足を踏み入れることはない。
(これは、本ブログ通算9992のエントリーです)