秦組vol.6「くるくると死と嫉妬」を観てきた。
ストレートに言ってしまうと、冒頭からずっと意図不明の演出が多く、音楽も、三味線はいい感じで作用していたのに対し、キーボードが内容にフィットしていなかった。
役者は主役の女の子はともかく、その相手役の男優は非常に力量を感じさせたし、婦長役の女性もなかなか良い味を出していたと思う。他も、中心の役者には「びっくりするほど下手な役者」はいなかった。ただ、主役の女性にもれなくついてきたのか、事務所の都合なのか、良くわからない女子4人組とかがいて、舞台を一層混乱させていた。そんな中でひとつ感心したのは、複数の役者が同時に同じセリフを言う場面である。第三舞台の昔から、何を言っているのかさっぱりわからなくなるのがこの手の舞台の「いつものアレ」なのだが、この芝居では、全てのセリフが聞き取れた。この点は高く評価できる。秦組の看板女優である築山万友美さんが相変わらず存在感を示していたのだが、むしろ鼻につくぐらいに格好をつけすぎた演出だった。セリフの内容などで存在感を示して欲しいところ、芝居がかりすぎた(芝居なんだけれど(笑))立ち居振る舞いで、うーーーんと感じてしまった。特殊な役柄だからこそ、普通に演じたほうが良かったと思う。
ネタバレになってしまうので詳しくは書けないのだが、ストーリーの肝になる部分を思いついた時点でそのからくりに惚れ込んでしまい、他にほとんど何もない、という感じがした。では、役者がストーリーとは無関係に舞台に引きこむかといえばそんなこともない。つい先日、野田秀樹演出の韓国語版「半神」を観て、言葉がわからなくても伝わる演出を経験したばかりなので、一層、残念な感じを受けた。これもネタバレなので詳細には書けないのだが、「不老不死」のくだりも腑に落ちない。作り手としては面白い仕掛けのつもりだったのかも知れないのだが、観ている側としては「飲むのが逆になってしまったらどうするつもりだったのか」といった疑問がついてまわってしまい、なんだかな?という印象だった。もちろん、「どっちが飲んでも構わない」という設定でも構わないのだが、それならそれで、それをフォローするような脚本が必要だったはずである。
小説ならこれでも良いと思うのだが、舞台だともう一工夫ないと厳しいと思う。脚本、演出、音楽、美術と、全てに詰めが甘く、お子様ランチ的な味わいだった。
ちなみに、脳死していない人間から肝臓を全摘する前提で組織適合性検査をすることはありえないのでは?