残業代ゼロ法案 働くルールを壊すな
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015021402000145.html
まず私たちが考えなくてはならないのは、「日本企業は今のままで大丈夫なのか」ということだ。日本の経済成長率はこんな感じで、
(世界経済のネタ帳を利用して作成)
GDPデフレーターも1992年以降ずっと減少傾向にある。2014年に約20年ぶりに上昇に転じたのだが、数値自体は低いままで、日本製品の付加価値は小さいままである。
こうした日本社会の停滞が何に起因しているかを真摯に考えて、対策しない限り、日本社会の停滞は止まらない。前掲の記事は、「日本社会は何も変える必要がない」という特異な視点に立脚していて、首肯できるところがない。あるいは変える必要はあると思っているのかも知れないが、問題点とその解決方法の提案がなく、いかにも評論家然とした書きぶりである。
では、日本社会の停滞の原因はどこにあるのか。私の考えは、「企業から「不要な人材」を排除する手段がない」というものだ。「不要」とは、能力の有無とは関係ない。ここではプロ野球のチームでたとえて説明してみる。
現在、読売ジャイアンツが強大なチーム力を有していることは多くの人が同意すると思うのだが、読売はなぜそのようなチーム力を有しているかと言えば、資本力を背景に、FAなどで優秀な人材をかき集めたからだ。もちろん生え抜きも存在していて、両者を上手に融合させることによって強いチームを作り上げた。
読売にFA移籍した選手
1993 落合博満(中日)
1994 川口和久(広島) 広沢克己(ヤクルト)
1995 河野博文(日本ハム)
1996 清原和博(西武)
1999 江藤智(広島) 工藤公康(ダイエー)
2001 前田幸長(中日)
2005 野口茂樹(中日) 豊田清(西武)
2006 小笠原道大(日本ハム) 門倉健(横浜)
2009 藤井秀悟(日本ハム)
2011 村田修一(横浜) 杉内俊哉(ソフトバンク)
2013 大竹寛(広島) 片岡治大(西武) 井端弘和(中日)
2014 金城龍彦(横浜DeNA) 相川亮二(ヤクルト)
活躍することができなかった選手も散見されるのだが、中心となってチームを牽引した選手も少なくない。つまり、移籍による戦力補強が、読売のチーム力向上に大きく貢献しているのである。当然、その裏では読売から放出されたり、移籍して出て行く選手もあるのだが、それは「清原が来るなら、出場機会が減少するから出て行く」(落合)といったもので、その選手の能力そのものが低かったわけではない。より活躍できる場所を求めて、そとに出て行ったわけだ。私は投入する資金に何の制限もない(サラリーキャップ制度がない)日本プロ野球機構の運営には否定的な立場だが、読売の球団運営はなかなか見事だと思っている。競争力を常に高めるためには、必要な戦力を導入し、同時に不要な戦力を排除していく必要がある。これこそが、日本の企業に求められているスタイルだと思う。
高い専門性を持っている人材でも、それが恒久的に機能するかどうかは甚だ疑問である。たとえば私が三菱総研に在籍していた時代、花形部門は航空機、住宅、軍事、環境などだった。しかし、今では航空機や住宅はそれほど仕事がなく、医療や福祉といった部門に押しやられていると想像できる。そうやって「かつて花形だった人たち」が生まれた時、彼らをどうやって処遇するのか考えなくてはならない。日本的な考え方では、「間接部門に行ってもらおう」「子会社に送り込もう」などが一般的なのだろうが、それは三菱総研を含めた企業各社、および公的機関、大学などの労働力が硬直化しているからだ。出て行く人がいないので、入ってくる人のためのポストがない。
これをプロ野球でたとえるなら、読売以外の11球団が「うちは純血主義なので他球団からの移籍は不要だ」と表明している状態である。よその球団に行けばまだまだ一線で活躍できるのに、受け入れを拒否されてしまえば、行き先がなくなる。その結果、海外の球団に出ていくか、低い給料で引き続き読売に籍だけおくか、あるいは引退せざるを得なくなる。本当に何の選択肢もないと、打者として優秀だった落合をピッチャーとして起用しなくてはならない、といった事態も想定されるようになってくる。これでは、デメリットこそあれ、メリットは何もない。選手も、球団も、ファンも、関係者全てが不幸になる。そして、移籍に対する自由度が上昇し、人材の流動性が高まれば、ほぼ全ての球団と選手にメリットが生じる。ただし、プロ野球の場合、相手があって成立するものだし、特別な数球団だけが抜群に強力な戦力を保有してしまうと、興味が薄れてしまう可能性もある。スペインサッカーなどはまさにこんな状態で、バルサとレアルに戦力が集中している状態で、これが良いのか、悪いのかは別途検証する必要があるだろう。だから「ほぼ全て」と但し書きがついている。
本当に必要とされている人材は、きちんと活躍できる場所に相応の処遇で所属できて、そうでない人は、それはそれで相応の待遇で処遇される、というのが、社会の活性化には必要なのである。高度成長期時代はほとんど全ての業種が好景気だったので、こういった人材配置の最適化は必要がなかったのだろうが、今はそうではない。
さて、ここまでは一般論だが、前掲の東京新聞の記事を読みながら、記事のどこがおかしいのかを検証していく。
企業にとって都合がいいが、働く人の命や健康を脅かすものだ
企業にとって一方的に都合が良い制度などは、常識的には存在し得ない。フラットで平等な社会であればなおさらである。仮に企業だけが利益を得るとすれば、それは制度の問題ではなく、それをとりまく社会環境のせいだ。日本の場合、労働市場の硬直化が一番の原因と考えられる。労働市場が十分に流動化しているなら、待遇に不満のある人材は、よそに活躍の場を求めて出て行けば良いだけのことである。一方で、会社が出て行かれては困るなら、処遇を改めて引き止めれば良い。旧態依然とした状況が頭打ちなら、何かを変えなくてはならない。その副作用がやはり旧態依然とした状況によって生じるなら、そちらを変えるべきであって、副作用があるから今のままで、というのでは何の解決にもつながらない。
日本の労働者は著しく立場が弱いので、成果を求められれば際限なく働かざるを得なくなる
日本の労働者の立場が著しく弱いとは初耳である。窓際族をリストラするのに多大な労力を割かなくてはならないのがこの国で、労働者の立場は強いことはあっても、弱いことはない。正確には、無期雇用(いわゆる「正社員」)の立場は異常に強い。ただ、そうした中においても、サービス残業を強要される可能性は確かに存在するし、実際にサービス残業を強いられている人も少なくないはずだ。
#私自身、経産省においてはサービス残業を行っていた。ただ、これはちょっと事情が特別で、「残業代がそもそも予算化されていないので、ないものはない」という状態だった。
では、なぜサービス残業を強いられるのか。これも前述のとおりである。日本の労働市場に柔軟性が欠落しているからだ。一度レールから外れると、もとに戻ることはなかなか難しい。なので、なるべくそのレールから外れないようにして努力することになる。ここでも、硬直化した労働市場が、日本人の「働き方」に大きな悪影響を及ぼしている。「お前なんか、他球団はどこも獲ってくれないぞ。だから、中二日で先発しろ」と命じられているようなものである。本当に他球団に移籍できないのなら、こういった処遇も考えられる。しかし、それによってそのピッチャーが肩を壊してしまったら球団としても損失である。あるいは、壊れて引退してくれた方が助かる、といった状況も考えられなくはないのだが、わざわざ壊して引退に追い込むくらいなら、他のチームに移籍してくれたほうがみんなハッピーだろう。
生身の人間を守るための規制
生身の人間を本気で守りたいなら、「残業代を支払え」ではなく、「残業は禁止」とすべきである。
アリの一穴がごとく、日本型の労働慣行は崩壊の縁にある
私は、むしろ積極的に壊していくべきだと思う。そのためのアリの一穴である。ただし、今のままでも構わない労働も存在する。たとえばスーパーのレジ打ちや、ごみ収集、その他もろもろの「労働時間数がそのまま成果量にリンクする」ような仕事である。プロ野球で言えば、球拾いなどだ。そういった仕事は確実に必要で誰かがやらなくてはならない。こうした労働力に対してはきちんと憲法で保障されるような賃金が支払われるべきで、サービス残業などはもっての他である。
商社やIT企業の中には早朝出勤への切り替えなどで残業をなくし生産性向上も実現している企業が少なくない
早朝出勤であっても、総労働時間が長くなるなら残業であって、本質的な提案ではない。
露骨に大企業の利益に便宜を図るのは倫理的に疑問
サービス残業が問題になりうるのは大企業の高度人材ではなく、むしろ中小企業で労働集約型の勤務をしている労働者たちではないのか。私の周りには超一流企業の管理職がたくさんいるのだが、彼らがサービス残業に文句を言ってきた場面を見たことがない。
労働問題を議論するのに労働界代表を排除している
ほとんど違和感しかない記事だが、ここだけは正論だと思う。
行き着く先は国民の多くが不幸になるブラック国家
では、今のままで良いのか、ということになる。このエントリーではここまで言及していないのだが、もうひとつの大きな問題として、同一労働同一賃金が実現しない状況もある。日本は国際労働機関(ILO)の理事国だが、ILO憲章(フィラデルフィア宣言)に明記されている「同一労働同一賃金」を実現しようとする気配すら感じられない。
1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務である
(フィラデルフィア宣言から抜粋)
日本社会を変えていく必要があると考えるのなら、やるべきことは「労働力の流動化」と「同一労働同一賃金の原則化」の二つである。その実現の過程で憲法で保障されている基本的人権がないがしろにされるのは論外だが、そうしたことがないように配慮しながら行動に移すべきだし、マスコミは弱者にしわ寄せがいっていないか監視していく必要があるはずだ。
東京新聞が「いやいや、今の日本社会がベストだから、何も変える必要はない」と考えるのであれば、それはそれでひとつの見識ではあるのだが、新卒の時期がたまたま不況だったおかげで常に弱者の立場に追いやられてしまったり、せっかく能力を身につけても安い給料で雇用され、その背後で生産性の低い労働者が高給で処遇されていたりするのが正しい状況とは、到底思えないのである。
日本社会でやっていることは、
ドラフトで獲った選手はどんな能力・成績でも一生面倒をみる
一度入団したら、成績とは無関係に、年齢に応じた給料を支払う
他の球団への移籍は悪
チームの指示があればピッチャーだろうが遊撃手だろうが何でもやらなくてはならない
必要に応じて球拾いもする
でも、クビにはならない
優秀な若手が入団を希望していても、退団する選手がいないので採用できない
といった、数々の理不尽なことである。これらは、会社にとっても、普通の労働者にとっても、さらには応援するファンにとってもメリットがない。唯一メリットを得られるのは、「運良く入団できて、その後ほとんど努力をせず、試合に出場することもないのだけれど、クビになる心配がない選手」だけである。
プロ野球では、ドラフトで上位指名されても、その後全く伸びず、若くして引退というケースも少なくない。20代前半の能力等はそんなものである。適性についても、本人も周囲も、必ずしも適切に判断できるわけではない。社会環境の変化にともなって人間も、所属する組織も、柔軟に変えていく必要があるのではないか。その際、成果主義を導入することはひとつの有効な手段と考えられるし、これを足がかりにして、労働市場の流動化を推進していくべきだと考える。
#こういう記事を書くと、一番デリケートに反応する人が非正規雇用の人たちなんだけれど、彼らに対して「頑張れば、正規雇用してもらえて、勝ち組になることができるかも知れませんよ」という、ありもしない人参をぶら下げるのが一番の社会悪だと思うのです。今の社会状況では、正規雇用の枠はほとんど広がりません。やるべきは、正規雇用という既得権者の数をちょっとだけ増やすことではなく、正規雇用という既得権者の権利を小さくすることなのです。なぜかって、既得権者の数は、増えたとしても、ほんのわずかなのですから。