2015年04月08日

ブウ*の視点 「つけ麺の構造的問題に関する一考察」

今までも散々書いているし、テレビでも喋っているのだけれど、まだきちんと文章化していなかったようなので、つけ麺について書いておく。

つけ麺は、先日亡くなった山岸一雄さんが創案したまかない料理というのが定説だ。店が忙しい時に厨房の片隅でさっと食べることができる、というのがこの料理の主眼で、熱くない、途中で食べることを中断しても劣化しにく(のびない)、"大きな丼にスープ"という不安定な要素がない(こぼしてしまうリスクが小さい)、と、まかない料理として有利な点を複数有している。一方で、客として食べる場合にはいくつかの構造的問題を含んでいる。この問題点故に、つけ麺は料理として成立しにくい。では、その構造的問題とは何か。

まず一つ目として、つけダレが薄まることが挙げられる。ラーメンの麺はどんなに丁寧に湯切りしたとしても、その表面に水を含む。これをつけダレに浸けて食べるのだから、つけダレの濃度は徐々に薄くなる。一方、人間の舌は、味に慣れていく。砂糖を口に含んでなめたあとに甘い料理を食べてもあまり味を感じない経験は、誰でもしたことがあるはずだ。舌はだんだん味に慣れていき、加えてつけダレの味がどんどん薄くなるのでは、味を楽しむためには二重苦を抱えていることになる。本来なら、味は徐々に濃くなることが望ましいし、だからこそ、僕たちは食べている途中に薬味を追加したりして、味に変化を付けたりもする。つけ麺は、つけダレの量が少ないことと、食べている最中につけダレにどんどん水分を追加されることから、大きな影響を受けてしまう。

二つ目として、つけダレがぬるくなっていくことが挙げられる。食感に影響を与えるものは味だけではない。温度も重要な要素だ。そして、一部の例外を除いて、温度は高いほうが歓迎される。熱さは味ほどには「慣れ」はないと思うのだが、熱かったものがぬるくなることには敏感だ。つけ麺はつけダレの量がラーメンのスープよりも少ないことが多いので、当然、熱容量がラーメンのスープほど多くない。結果、食べている途中ですっかり冷めてしまうことも少なくない。ラーメンでも、スープを節約する目的で丼の大きさを鋭角の円錐状にしている店があるが、こうした店以上に、つけダレはぬるくなるし、満足感は損なわれる。

この2つの大きな欠点をどうやって克服するかが、つけ麺屋が客に美味しいつけ麺を提供するために与えられたテーマなのだが、対策が全くなかったわけではない。最も簡単な対策は、つけダレを濃くすることだ。超濃厚タイプなら、薄まる度合いが小さくなるし、スープ自体の熱容量も大きくなるのでぬるくなりにくい。どうしても劣化はするものの、無対策に比べればかなり改善される。こうした例としては志木の「うえだ」の肉野菜つけ麺が挙げられるのだが、なぜか最近はいつ行っても売り切れである。個人的にはこの店は過大評価されていると思っているが、唯一並んでも食べる価値があると思われる肉野菜つけ麺が欠番になっているのは理解不能だ。もしかしたら、採算に乗りにくいのかも知れない。この他にも、ぬるくなる対策としてIHの上につけダレの小どんぶりを乗せておく店が現れたが、池袋にあった店は早々に潰れてしまった。単にぬるくなる対策を考えるなら、つけダレの小丼を肉厚な陶器にするといった方策も考えられるのだが、そういう店はまだ見たことがない。熱した金属塊か焼け石を投入する店もあるのだが、こちらは熱すぎて食べにくかった。熱ければ良いのではなく、適度に高温である必要があるわけだ。あるいは、「麺が熱ければ良い」という考えなのか、あつもりという、一度水でしめた麺を再度加熱した食べ方まであるのだが、これはこれで、麺が途中でべたついてきて、団子状になったりする。麺の表面のぬるぬるも強くなり、食感は大きく損なわれてしまう。あちらを立てればこちらが立たず、である。しかし、そもそも、つけ麺屋には味ではなく量を求める客が集まる傾向があって、こうした味に対する配慮をする店はターゲッティングに失敗している可能性がある。

このように、無対策ではないものの、決定的な対策は存在しないし、そもそも食べる側が対策を求めていないフシもあって、つけ麺は大きな欠点を抱えたままに存在している。それは、1,000円以上のグルメバーガー屋がある一方で、モスバーガーやフレッシュネスバーガーが存在し、むしろグルメバーガー屋の方がマイナーな存在であり続けている状態と同じである。同じようにして、構造的な問題を抱えたままのつけ麺も、大衆に受け入れられていると考えられる。

大雑把に言えば、味を追求する人はラーメンを求め、量を追求する人はつけ麺を求めるのだと思う。

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