陶芸の要素は大きく分けて
1.成形
2.釉掛け
3.絵付け
に分類できると思うのだけれど、僕が通っている陶芸教室の生徒さん達の熱意は明らかに
成形>>釉掛け>絵付け
である。全部同じように面白いし、どれも奥が深いと思うのだけれど、なんで???という感じだ。
釉薬でどういう変化があるのかを知りたかったので、先日は色見本のように、白土と赤土の練り込んで、板作りで作った角皿に7種類の釉薬を掛けて色の違いを確認してみたのだが、それだけでも「熱心ですねぇ」などと感心されてしまう。いやいやいや、熱心なんじゃないでしょ、行き当たりばったりで一か八かみたいなやり方じゃぁ非効率的でしょ?急がばまわれじゃないけど、一度確認しておけば、むしろ近道じゃん?と思うのだが、こういう考え方はマイノリティらしい。でもさ、釉薬って、とても大事だと思うんだよね。たとえばこの間作ったこの土鍋。
これ、角の部分にひと手間かけて角を白くしただけでずいぶんと印象が良くなったと思う。これをなまこ釉にドボンと浸けて、全部青くしちゃったら、そりゃダメでしょう。「こういうデザインにしたいな」という意匠があったとしても、それをきちんと表現するための釉薬に関する知識がなくちゃ、実現不可能だし、何度かはたまたまうまくいっても、ほとんど失敗じゃもったいないじゃん。
そして、釉掛け以上にみんなが無関心なのが絵付けである。これも不思議。確かに、黒田陶苑とかに行っても、上絵や下絵で色々やっている焼き物よりも、手で捻って釉薬ドボン、というタイプの焼き物が多いと思うけれど、僕のような遊びで焼いている素人には、個性を出すのが凄く難しいと思うんだよね。きっと、釉薬ドボンタイプの焼き物は、背後にものすごい量の試行錯誤があって、山ほどの失敗作品のはてにようやく辿り着いた完成品、みたいなところがあって、だからこそ、評価されるんだろうな、と。ところが、絵付けなら、そういう試行錯誤はなくても、絵心さえあればなんとかなるわけだ。「肝心の絵心がありません」という人もいるだろうけど、小さい頃から全く絵心がなく、「となりのチャー君は絵がうまいのに、お前の絵は幼稚だ」と言われ続けて育った人間でも、初めての絵付けでこれくらいは描けてしまうのである。
お世辞の部分が大量にあるのはわかっているけれど、それでも「結構上手」と言われてしまうのだから、練習して差別化するのに最短ルートは、この絵付けの部分なんだろうな、と思うのだ。しかし、このカワセミを描いた時、一番感じたのが筆の性能の低さ。陶芸教室の筆はみんなで共同利用していることもあってか、とにかく描きづらい。素焼きした陶器に筆が触れているのに、呉須が乗ってこない(絵が描けない)。じゃぁ、と思ってもうちょっと筆を陶器に近づけると、呉須がべちゃっとつきすぎてしまう。これじゃぁ、細い線が描けない。
料理の時も、僕の腕が飛躍的に向上したきっかけは、そこそこ切れてメインテナンスフリーのセラミクス製三徳包丁から、一本3万円以上のまちかん製の包丁にチェンジしたことだった。弘法は筆を選ばないかも知れないが、下手くそは筆を選ばなくちゃならないのである。でも、筆って何を使ったら良いの?と思っていた時、陶ISMで細かい下絵を描いていた内海大介さんから、「白鳳堂の面相筆の太い奴を使ってます」という話を聞くことができた。そのちょっと前に、九谷の牟田陽日さんからも、「細かい絵を描くのは、太目の筆を技術で使いこなすんです」と教えていただいたところだった。ということで、早速白鳳堂に出かけて、下絵用の筆を2本買ってみた。
今度、練習用に素焼きしただけの板を作って、色々練習してみようと思う。どこか、上絵や下絵を中心に教えてくれる陶芸教室を探して、最初に勘所を教えてもらえると良いんだけどなぁ。
#ちなみに、下絵は一度しか描いたことがないし、上絵は一度もやったことがない(笑)。やっとスタートラインである。