2016年04月29日

僕が日本から逃げ出した理由(2)

(2)大学の運営費交付金の減額
僕のフェイスブックの友人には何人か大学関係者がいるのだが、彼らのタイムラインをつらつら見ていると、時々「運営費交付金の漸減をやめて欲しい」という意見を目にする。

運営費交付金に関して財務省が渋いのは当たり前で、そのわけは、日本にはお金がないのである。どこにどう限られたお金を投入するか、優先順位の問題になっている。国からのお金に頼っている大学やら、自治体やらは、少ないパイを取り合っているだけだ。財務省はその分配を差配しているのだが、僕から見ると、その判断に著しい不適切さは見当たらない。

財務省に圧力をかけることができるのは政治家ぐらいだが、その政治家の背後に存在する一般国民、特に投票に出かける40代以上の国民にとっての関心事は、大学やノーベル賞ではなく、社会保障、福祉になっている。現状、高齢者福祉にかけるお金を削って、将来の貢献が不明確な高等教育にお金をかけることは非常に難しい。大学の運営費交付金の増額を掲げて選挙を戦えるのは、幸福実現党ぐらいではないのか。特に、一度は政権を取ったことのある旧民主党の政治家たちは、安易に大学関係者に同調することはないだろう。日本の有権者たちにとっては、ニュートリノの数がいくつだろうが、将来、宇宙が収縮しようが、そんなことはどうでも良くて、むしろ気になるのはレイがルークの娘なのかとか、プリンスの死因とか、今晩のおかずのことである。

大学関係者について感じるのは、研究費であっても、給料であっても、そのお金の原資の少なくない部分が税金であるということについて鈍感だということだ。どういう思考回路なのかは不明だが、お金はどこかから湯水の如く湧いてくるものと考えている節がある。こう考えてしまうのは、彼らが景気回復の重要性を論じる場面にほとんど出くわさないからである。

研究費が不足している 

大学にお金がない

国からの支援が足りない

国にお金がないか、お金はあっても分配方法が悪い

どうやらお金がないらしい

税収が少ない

景気を良くするか、人を増やすか

と考えるのはそれほど難しいことではなく、少なくとも国立大学を卒業して大学のポストを得るぐらいの経歴の人間であれば、すぐに思いつくのではないだろうか。にも関わらず、なぜか4番目ぐらいで思考が停止するのである。あるいは、思い付いてはいても、あえて目をつぶっているのか。

とにかく、根本的なところに行き着かず、無駄遣いが多いとか(まぁ、それも一理あるけれど、本質ではない)、文系と理系のバランスがおかしいとか、なんでも良いけど増額しろ、といった主張を繰り広げる。もしかしたら、「10年、20年後はどうでもいい。自分が今のポストに就いている間だけ、何とかなれば良い」という考えなのかも知れないが、これでは社会の同意は得られないだろう。百歩譲って、4番目あたりで思考停止することを良しとしても、「俺たちにもっとお金をよこせ(減らすな)」と主張するのであれば、同時に「あっちの予算を減らすべきだ」という具体的かつリーズナブルな主張がセットであるべきだ。しかし、そういった主張に行き当たった記憶がない。ただ「金よこせ」では乞食やおもちゃ売り場で座り込んで駄々をこねているガキと一緒である。

「大学への投資が足りない」と論じる大学関係者は、少なくとも経済政策で失敗した安倍自民党には投票すべきではないし、「今の政府ではアカデミズムは死に絶える」ぐらい言うべきだと思うのだが、おとなしいことこの上ない。「政府や文科省に楯突くと後が怖い」とビクビクしているのだろうか。

兎にも角にも、大学がお金が欲しいなら、すなわち国に寄生し続けるのであれば、日本経済の再建しか道はないのである。

あるいは、国など頼りにせず、自分たちでなんとかすることだ。

(1)最低賃金のアップが招くもの
http://buu.blog.jp/archives/51522709.html

(2)大学の運営費交付金の減額
http://buu.blog.jp/archives/51522710.html

(3)彼岸と此岸
http://buu.blog.jp/archives/51522711.html

(4)日本の向かう先
http://buu.blog.jp/archives/51522712.html

(5)日本の成長力が低い理由
http://buu.blog.jp/archives/51522713.html

(6)贈る言葉
http://buu.blog.jp/archives/51522714.html

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