私は、一つ伏して都民、都議会のみなさまにお願いしたいことがある。
もし、私への不信任が可決されれば、私が辞任するか、議会を解散するかという選択をすることになる。いずれにしても選挙になる。選挙の時期はどうしてもリオ五輪、パラリンピックと重なる。知事として断腸の思いでいるのは、リオの時期に選挙をやるのは、国家的事業である、2020年(東京)大会にとって極めてマイナスだ。
もちろん私の不徳のいたすところであることは重々承知している。そういう思いで、どうか少しの猶予をいただきたい。それは、私が知事の座に連綿としがみつくのではない。給料もご辞退申し上げたい、都民のために働きたいと思っている。今、知事として、選挙はリオで重なるので、そういうものはどうしても公益にそぐわない。極めて厳しい判断をしている。
どうかこの時期を猶予していただき、その上でふさわしくないというご判断をなさるときは不信任案を出してもらえればと思う。
出典:集中審議の詳報(14)リオの時期の選挙は極めてマイナス 猶予を(毎日新聞)
なんとも不思議なのだが、リオ五輪とはそんなに大切なのだろうか?都知事としてやらなくてはならないことはたくさんあるはずで、その中で他国で開催される五輪が不信任案の提出を保留するほど、すなわち、他の政治的課題の解決を棚上げするほどのことなのか、と思う。
何か、「子供と『リオ五輪に連れて行ってあげる(税金で)』と約束してしまった手前、なんとしてもリオ五輪だけは行かせて欲しい」と言っているように聞こえてならない。
話がこじれたのは、知事の頑なにして自分勝手な姿勢を貫いているからに他ならない。第三者の調査を受けようというなら、その第三者は自分で選ぶべきではないし、その調査の結果、さまざまな疑惑が派生してきたなら、その疑惑にはきちんと答えるべきだった。第三者の弁護士に説明を任せるなら、任された弁護士はきちんと説明責任を果たすべきだった。
それらを全てすっ飛ばして、返答に困ると「政治家としての信義」を持ち出すなら、政治家としての信義を貫いてさっさと退場しろ、となる。
ところどころで「弁護士が違法ではないと判断したんだから詰めすぎでは」という話を目にするのだが、その弁護士の調査と判断が信用ならないというのが現状だろう。佐々木弁護士は検事としては優秀だったかもしれないが、調査は週刊文春の方が厳密みたいだし、都民を前にして第三者の代表として知事の潔白性を説明するには能力不足だったということだと思う。つまりは人選ミスで、これまた知事の自己責任である。都知事として現段階で問われているのは、やったことの是非以前に、その調査が信用できないのである。それは、第三者の選択方法など、調査に至るまでの経緯について説明責任を果たしていないことに起因する。
今、社会は透明性を重視する。インターネットの普及によってインフラ的にはほとんど全ての会議が実況中継可能となっていて、録画を使えば誰でもいつでもそういった動画にアクセスできる。特に行政については「由らしむべし知らしむべからず」という世の中が少しずつ変わってきているのだが、その雰囲気の変化に鈍感な政治家は退場を迫られてしまう。どこまでも自分の土俵で相撲を取ろうとする舛添都知事は、その代表例だろう。
ことここに至っては、「そんなにリオに行きたければ、私人としてどうぞ。ファーストクラスでも、家族旅行でも構いません。ただし、自費で」としか言いようがない。
まぁ、僕は都民になったことはないので、所詮は第三者なんだけれど。