岡口基一裁判官が素晴らしいと書いたのだが、これは本能的に「あ、この人は超一流だな」と感じたからである。
参考エントリー:朝日新聞に載った岡口基一裁判官が素晴らしい件
http://buu.blog.jp/archives/51527002.html
そのあと、岡口氏のTwitterをさらに詳しく読みながら色々と思ったことを追記しようとしていたら結構な分量になったので、追記ではなく新しいエントリーとして書いてみる。
僕たちはまず、岡口氏がなぜ実名顔出しでつぶやいているかを考えてみる必要がある。「一種の露出狂だから」という考え方もあるとは思うが、僕はそうは思わない。彼の行動原理は、一種の性的マイノリティ(なのかどうかも不明だが)の立場から、その存在の権利を主張することに見える。もちろん個人的趣味はあるのだろうが、同時に社会に対して問題提起している色合いを感じる。
「面白い写真をアップしたい」と思った時に、一瞬でも「でも、社会的に良いのかな?」と確認するフェイズがあるはずで、その上で「やっちゃえ」と思わせる何かがあるはずだ。
僕はかなり前に「マツコ・デラックスはメディアには珍しく非常に良識的な人間である」と書いたことがあるのだが、マツコと比較的近い立ち位置の人物に見える。では、岡口氏の提起している問題とは何か。
大前提として、彼の行動は全くもって合法であり(それは、裁判官という極度に専門性の高い職業の人間が続けていることからも明らかだろう)、何ら処分に値するものではない。この点はきちんと把握しておく必要がある。今はやりの、「違法ではない」というやつだ。
それでもなおこうして新聞記事になったりするのは、彼の行動が一般常識、いわゆる日本人の常識の外にあったからだろう。これもはやりの「不適切」というやつだ。最近ネット内では「マスコミは舛添を叩きすぎ」という意見が散見されたのだが、これとは似ているようでいて、大きく異なる。舛添氏は原資が税金のお金をちょろまかしていた疑惑があったにも関わらず、それをきちんと説明しなかったからこそ、辞任に追い込まれたのである。彼の使い込みの調査にあたり、”彼が選任した彼にとって都合の良い第三者”ではなく、むしろ彼を告発したい立場の弁護士らが調査していたらどうだっただろう。それでもなおシロで、担当した弁護士たちが記者会見で苦渋に満ちた表情を浮かべながら「かなり綿密に調査したのだが、残念ながら違法とも、不適切とも言える出費は発見できなかった。力及ばずで申し訳ない」と頭を下げていれば、おそらく舛添氏はリオ五輪を満面の笑みで奥さんとともに都知事として訪問していたはずだ。舛添氏がだめだったのは、あくまでも自分が決めた行司によって、自分の土俵で相撲を取り続け、物言いがつこうが何しようが耳を貸さず、最後まで説明を拒否し続けたからである。一方で、岡口氏はそういった不始末は一切行っていない。ただTwitterにパンツ一丁(水着?)の写真を載せたり、「フル勃起」と書いたりしただけである。
では、これが裁判官としてふさわしいか、ふさわしくないか、ということなのだが、岡口氏は別に裁判官としてこれをやったわけではない。裁判所で突然法衣を脱いで白ブリーフ一丁になったとか、判決で突然「被告は犯行にあたりフル勃起で」と述べたわけでもない。Twitterのアカウントプロフィールにも、高裁の裁判官であることは記載されていない。したがって、ふさわしいか、ふさわしくないかを議論する以前の状態なのである。例えば僕はライブログ社の社長としてこのブログを運用していて、このブログはすなわちライブログ社の公式見解とされても文句は言えないのだが(実際には取締役会にかけているわけではないので、公式見解ではない)、岡口氏のTwitterはそういった色合いではない。「東京高裁の裁判官の公式Twitter」ではないし、それを示唆しているわけでもないのだ。
これが問題だと司法組織がいうなら、僕たちは司法組織自らが表現の自由の侵害を行っていることにこそ、問題意識を持つべきだと思う。
今回の件は、性格からいって週刊誌が飛びつきそうな話だが、おそらくちょっと調べれば、叩くべきは岡口氏個人か、彼が所属し問題と考えて処分した組織か、どちらなのかはすぐにわかるはずだ。これは、日本社会と、マスコミに対するリトマス試験紙である。これだけ話題になっているのだから、早晩、どこかの週刊誌が記事にするだろう。そのとき、僕たちはそのメディアが一流なのか、三流なのかを知ることができる。
僕は、岡口氏を叩く人やメディアの側に立つことはない。
どこかの三流メディアや頭が悪い政治家あたりが岡口氏を叩くなら、司法組織はこれ幸いと彼を取り除くことに全力を挙げるだろう。そして、それを実現するまでにはそれほど長い時間がかからないはずだ。では、そうなったとき、困るのは誰なのか。少なくとも、岡口氏が困るとは到底思えない。今の地位に就くまでに彼の行動が組織に知られていないはずもなく、それでも今の地位にある以上、岡口氏の実力は相当なものだ。ちょっと考えただけでも、「5時に夢中」のようなメディアが放っておくとも思えない。「本当に日本社会はレベルが低いな」と嘲笑しつつ野に下るのではないか。弁護士をやって日銭を稼ぎ、コメンテーターとしておもしろおかしく生きていけば良いのである。大きな損失は、僕らのサイドにある。
日本は「出る杭は打たれる」と啓蒙し、「由らしむべし知らしむべからず」という理念で庶民を均質化し、飼いならしてきた。この状態は、昭和40〜60年代のように順調に回っているうちは好循環が続くのだが、ひとたびネジが外れると対応能力が非常に低い。僕の専門領域である生物で言えば、均質化された生態系は災害耐性が低いというのと同じである。多様化した生物相ならインフルエンザがはやっても、かかる人もいればかからない人もいるのだが、みんなが同じ遺伝情報を持っていたら、全員が罹患して絶滅してしまう可能性もある。
米国に住んでいると強く感じるのだが、日本の社会は高度に均質化が進んだ社会で、そのデメリットの顕在化が、今の低成長社会だと思っている。
「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として有名な中島誠之助氏が「鑑定のカチマケ」という本で加藤唐九郎(加藤嶺男氏の父)に言及した際に「まともな人間には、やはりいいものは作れません。ちょっと変わっていてアブノーマルなくらいでなければ、天才的な作品は生み出せない。今はアブノーマルを全部排除するような方向へいっているから、完備はされているけれども面白味のない、つまらないものばかりの世の中になっています」と述べているのだが、岡口氏もこういうタイプの人間の一人だと思う。
均質化した日本社会において、岡口氏は明らかに異端者である。しかし、違法でもなければ、不適切でもない異端者だ。彼を排除すべしと主張する人がいれば、僕たちが排除すべきは表現の自由を侵害しようとしている側、すなわち彼を排除しようとする側である。彼のような異端者が司法組織にいることを、僕たちは喜ぶべきだし、少しでも長く彼にそこにいてもらえるように努力すべきだ。彼のような人材が司法組織の上層部に立てば、司法制度改革の失敗をきちんと評価し、反省し、望ましい司法制度に改革してくれるかもしれない。今の司法組織では、口が裂けても司法制度改革が失敗だったとは言わないだろう。
岡口氏は、日本の司法における新たなる希望なのだと思う。
今回の新聞記事や岡口氏のTwitterを読んで、「気持ち悪い」と少しでも思ったのなら、良いチャンスでもある。そういう人は、すでに日本型の洗脳社会に無意識のうちに取り込まれている可能性がある。多様な価値観の存在を認めず、異端を排除しようとしてしまう自分に気がついたのなら、階段を一段上に登ることができるかもしれない。
岡口氏の真意は、多様な価値観を許容するのかしないのか、そのための議論を生むところにあると思う。「そんなのは結論明々白々ではないか」というかもしれないが、理性と感情は違う場所にある。長い年月によって刷り込まれたものは、感情に反映され、マスメディアによって視覚化される。これから1、2週間、ワイドショーや週刊誌がこの件をどう扱うか、あるいは無視するか、興味深く見守りたい。
<見つけ次第追記>
こちら側だった事例
(1)日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/184599
(2)週刊ポスト
「ネットのバカ 現実のバカ」で肯定的に掲載
(3)中川淳一郎
2の著者
あちら側だった事例
(1)江原啓之氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp0-160629-0053.html
(2)美保純氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判
(3)東京スポーツ
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/559455/