2017年01月05日

初詣にベビーカーを持って行くと迷惑がられる日本社会

雨模様のワシントンDCからこんにちは。

暇なのでネットサーフしていたら、こんなニュースを見つけた。

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

初詣にベビーカー持参で行くことの是非についてなのだが、乙武さんが次のようにコメントした気持ちは良くわかる。



このコメントと、この記事に関しては恐ろしく不寛容なコメントが並んでいて、日本を逃げ出して良かったな、というのが正直なところである。
















キリがないのでこの辺でやめておくが、反乙武のつぶやきがTwitterには溢れている。しかし、この件に関しては、僕の立ち位置は明確に乙武側である。僕はDCに移り住んで、何度もこちらのネイティブに「日本と比べて何が違いますか?」と聞かれ、その度に、「米国では、車椅子の人を頻繁に見かけます。あちこちで、補助の人なしで出歩いている障害者たちを見かけます。日本ではこの状態は考えられません」と答えてきた。

僕は米国在住と言っても、ワシントンDCと、メリーランドと、ヴァージニアと、ニューヨークと、オーランドぐらいしか見てないので、僕の知識が全米全域について適用されるかどうかはわからないのだが、少なくとも、DCやNYは障害者に対して非常に寛容な街である。そして、同時にベビーカーに対しても寛容だ。こと障害者対応に限れば米国の状況は日本に比べてかなり理想的だと感じているのだが、日本がそれを真似ようとしても、非常に難しい現実がある。

米国と日本は何がどのように異なっていて、なぜ日本では実現が難しいのか。

最初に種明かしをしてしまえば、日本の、特に東京の人口密度が高すぎるのだ。

DCでは、朝8時とか、夕方6時ぐらいのごく限られた時間の、ごく限られた路線のみ、地下鉄で立っている乗客が見られるのだが、その他の時間は常に座っていられる。じゃぁ、ものすごい本数の電車が走っているのかといえば、そんなこともない。20分電車が来ないなんて、日常茶飯事である。ちょっと遅い時間になれば、30分待ちという事態もざらである。

ちなみに、DCの地下鉄には時刻表がない。本当はあるのかもしれないが、見たことがない。駅には何分後に電車が来る、という表示があるだけだ。後続の電車について知りたければ、スマートフォンのアプリで調べる必要がある。これも、表形式ではなく、何分後に到着するかだ。そして、そのアプリで5分後に来る、と表示があったのに、5分後に見てみると、また到着まで5分になっていたりする。非常にルーズなのだ。しかし、このルーズさに、米国人の障害者への寛容さが隠されている。

米国では、車椅子の乗客が誰の補助もなく、一人でバスや地下鉄に乗ることができる。バスはバス停で自動的に車高が低くなって、機械式の橋が出てくる。車椅子の乗客は、これを使ってバスに乗り、揺れた時に動いてしまわないように、ベルトで固定する。この間、だいたい、3分ぐらいはかかってしまう。障害者の利便性を考えると、定刻通りの運行は不可能なのだ。ルーズな運行が先だったのか、障害者対応でルーズにならざるを得なかったのかはわからないが、この国の国民性を考えれば、恐らくは前者だろう。

僕は良く、米国人達に「日本人はとてもパンクチャルである。それはとても良い習慣だが、時々、パンクチャル過ぎて、息苦しい社会である」と説明している。高度にオーガナイズドされた社会は、小さな受け皿を最大限に利用するためには避けることができない。しかし、高度であればあるほど、異分子を受け入れることも、必要に応じてマイナーチェンジすることも難しくなる。日本の主要都市は、詰め込みすぎて、余裕がなくなっているのだ。

丸ノ内線が4分間隔で精緻に運行しているのはとても素晴らしいことだが、その背後で犠牲になっているものも、間違いなく存在している。それが、障害者対応である。これは健常者の視点からは気付きようがない。日本の交通インフラは、ハード面だけでなく、ソフト面でも障害者を排除している。だから、日本の歩道には、車椅子がほとんど存在しない。日本と、米国の、足が不自由な人の割合に大きな差があるとも思えないので、日本では、外出したくても、足が不自由で思うようにならない人がたくさんいるのではないか。

米国がこういう状態になっているのには当然理由があって、それは「障害を持つアメリカ人法」: Americans with Disabilities Act of 1990である。これは、1990年に制定された連邦法だ。この法律によって、障害者の社会参画は全面的に保障されている。おかげで、映画館も、トイレも、スタバも、アパートも、どこへ行っても、必ずバリア・フリーだし、実際、街を歩いていれば頻繁に車椅子を見かけるのだ。

そして、車椅子に優しい社会は、そのままベビーカーにも優しい社会なのである。だから、冒頭の記事で書かれている寺のようなトラブルは、米国ではまずお目にかかれない。ベビーカーも電車内で見かけるし、バスの前部には2台まで自転車を乗せることができるキャリアーまでついている。これは健常者の話になるが、自転車の客がいると、バスはその客が自転車をキャリアーに積み込む間、のんびり待っているのである。

もしかしたら、タイムズスクエアでの年越しカウントダウンイベントなどでは日本と同様の不自由はあるのかもしれないが、年に一度、タイムズスクエアのごく限られた地域の話を日本の寺社仏閣と同一に論じるのは無理がある。

もちろん、何の理由もなく日本人が車椅子やベビーカーに冷たいわけではないはずで、そこは日常生活が車椅子やベビーカー前提で構築されていないから、必然的にそうなってしまうのだろう。DCのように、いつも電車で座ることができる状態なら、ベビーカーに目くじらを立てる必要もないのである。結局、寺にしても、電車にしても、混雑しているのが問題なのだ。

では、満員電車や、初詣客の集中をなくすにはどうしたら良いのか。簡単な話で、人口集中地域の人口を減らせば良いのだ。東京の人口が半分になるだけで、状況はガラッと変わるのではないだろうか。そのための方策も、ないわけではない。政府は首都機能の移転を前から言っているのだが、そんな面倒なことをしなくても、所得税減税だけでかなり効果がありそうに感じる。法人所得税率を都市部と地方で20%程度差をつければ、首都機能なんて移転しなくても、民間事業者はどんどん外に出て行くはずだ。何の根拠もなしに法人税減税してしまうのはもったいないので、例えば米軍基地周辺10キロ以内を「迷惑施設周辺減税特区」にしてしまえば、法人税を安くあげたい企業が米軍基地の周辺に集まってくるだろう。これが実現すれば、沖縄の米軍基地問題にも解決の糸口が見えて来ると思っている。嫌がる人を無理やり理屈で納得させるより、好きで集まってくる状況を構築した方が、作業はずっと楽である。

日本が抱える問題の大きなものとして都市部への人口集中が挙げられるのは間違いないことで、それが顕在化した例が、初詣のベビーカー問題なのだ。そして、乱暴なやり方かもしれないが、人口を地方へ分散させる手段もないことはない。あとは、やる気の問題である。でも、日本人は、将来自分の足が不自由になることなど想像できないので、多分やる気は出ないだろう。

だけど、大丈夫。足が不自由になったら、なんとかして米国に脱出してくれば良いのだから。ここにあるのは、relaxed lifeである。

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