久しぶりに岡山に来たので、倉敷まで行って、工房IKUKOに立ち寄ってみた。あまり買う気にならない青木良太の作品がたくさんあったのだが、青木嫌いは全く青木良太氏には関係ない話なので、ちょっと申し訳ない。なぜ青木良太氏が嫌いかって、金沢のGallery artraに行った時、雨の中を東茶屋街から歩いて行ったというのにひどい扱いを受けて、そのときGallery artraでやっていたのが青木良太展だったのである。僕はGallery artraとルンパルンパには二度と近寄らないし、これらの店で買うこともない。ただ、青木良太氏にとってはとんだとばっちりである。
さて、青木良太作品以外で面白かった作家は数人いたのだけれど、ぐい呑の厚さが不安定だったり、良い感じで結晶化した青瓷なのに不自然に重かったり、「この作品はこの人の最高傑作という感じではないな」という売れ残り感があったりで、なかなかこれは、という感じではなかった。その中で一番興味を持ったのは阿波夏紀さんという磁器作家で、作風は新里明士さんのような感じ。というか、ほとんど似通ったテイストである。どこがこの人のオリジナリティなのかは、新里作品と並べてじっくり比較してみないとわからない。正直、この手の白磁はあまり色々見たことがないのだ。見る人が見れば「全然違う」んだろうが、僕にはわからない。ただ、面白いのは間違いがない。
ぐい呑2点とそば猪口1点が並んでいたが、一番手が込んでいたのはそば猪口。六角形と球形のぐい呑は面白いし、値ごろ感もあったのだが、そば猪口を見てしまうと、もうちょっとという印象を持つ。色々変化をつけられるのに、それをやっていないからだ。ほぼ、シンメトリック。これが、散々変化をつけた後に、改めて単純化、均整化に向かったのならまた話は違うのだろうが、どうもそういう感じではない。発展途上にあって、その技術や意匠のレベルが現れてしまっているように感じた。つまり、そば猪口を作った時は、ぐい呑を作った時よりもレベルが数段アップしてしまったのだ。ぐい呑2つはそれぞれ1万と1万6千円。一方でそば猪口は2万8千円。通常、そば猪口の方が買い手が少ないので価格は安くなるものだが、この店(この作家さん)の場合は手数に合わせた価格設定のようだ。同じように3万円を出すなら、ぐい呑をふたつ購入するという選択肢もあったのだが、ここはやはりレベルが高い方の、そば猪口を買っておくに限る。お買い得だから、という理由で焼き物を買って、得したことなど一度もない。
正直にいうと、実はネックはもう一つあった。店の人に「これ、使えるんですか?」と質問したら、スポンジで丁寧に洗うなら、無色透明なものに限って使えるとのことだった。そば猪口としては使えないのである。僕は人間国宝の作品であっても使ってしまうタイプの人間なので、ただの装飾品というのは大きなマイナスポイントだった。でも、それでも買っておこうかな、と思える質だった。
今回の日本滞在では、これが最後の買い物になるだろう。多分。いや、えーーーーと・・・。余計なことは書かないことにする。