野田地図の足跡姫を観てきた。
この舞台、野田秀樹自身の紹介の二行目に「作品は、中村勘三郎へのオマージュです」と書かれるぐらいに個人的(野田秀樹からも、中村勘三郎からも)な作品だったため、どのくらい入り込めるのか、かなり心配だった。結論から言えば、その心配は現実になった。
僕のような、歌舞伎をほとんど観たことがないし、勘三郎の舞台も数本しか観たことがない(全て野田秀樹関連である)といった人間には、ハードルが高すぎた。たとえていうなら、知らない人のお葬式で、良く知っている人たちが悲しみにくれているような感覚。悲しいのは良くわかるけれど、その輪に入って行くことができない、共感できない状態。彼らの悲しみが大きければ大きいほど、僕の疎外感は大きくなる。輪の中に入ることができず、実際の物理的距離以上に、舞台と自分の間に距離を感じてしまった。
きっと、歌舞伎や勘三郎について良く知っているなら、楽しめる(悲しめる)舞台だったんだろう。肉体を使った芸術ゆえ、舞台に観客として参加していなければ理解できないし、肉体が消えてしまえば再現のしようがない。その悲しさは、追悼という形ではなく、舞台を楽しめないという形で僕の中に現れた。もう、こればかりはどうしようもない。野田秀樹が、宮沢りえが、そして、勘三郎と野田秀樹のファンが、勘三郎を悼んでいるのを傍観するより他になかった。
死んでしまってから偉大さを再認識した人として、僕の場合は勘三郎の他に清志郎がいるのだが、清志郎の場合はライブに行くことはできなくても、CDで日常的に彼の遺したものに触れることができる。歌舞伎や演劇も音楽と同じといえば同じで、ビデオで映像作品を見ることができるのだが、僕の中ではライブからCDへの劣化具合よりも、舞台からビデオへの劣化具合の方が大きくて、なかなかライブ感が再現できない。これは、もしかしたら映像に関連するモニターと音響のせいかもしれず、シネ歌舞伎などに触れたり、あるいは自宅のホーム・シアターを整備していけば、勘三郎の舞台を再確認することができるかもしれず、その時は映像化されたこの芝居も、楽しめるのかもしれない。
野田秀樹の演劇は、遊眠社の時代から難解で、観る人を選ぶ性格の芝居だった。でも、これまでの芝居は、わからないなりに楽しめる何かがあって、それが次へとつながり、少しずつ舞台との距離を縮めて行く性質のものだった。しかし、今回の舞台は違う。観る人を、共感できる人と、できない人に分断していた。その間の壁は、高く、分厚かった。それが良いのか、悪いのかはともかく。
僕は、つんぼ桟敷に置かれていた。