政党政治で良くわからないのは、例えば憲法は改正すべきか、あるいは護憲かとか、非常に大事なところでの政策の共有というのは必要だと思うのだけれど、もっと細かいところでは色々な意見があって良いはずで、例えば森加計問題なら、安倍晋三はもっときちんと説明すべきだと考える自民党議員がいても良いと思うのだけれど、そうならず、自民党内では立場を一本化してしまう。トップの意見が重視されて、個別の法案では党議拘束がかかるし、執行部が「衆議院解散だ!」となれば、議論の余地なく解散になってしまうあたり、非常におかしいと思う。
政党内での姿勢が統一されているので、国会の議論でも政党対政党の戦いになって、自民党の法案に関する自民党や公明党の議員の質問は、全くの時間の無駄になっている。今は国会で議論されるべき案件は多岐にわたっているので、一から百まで全部トップの意見と同じ、というのは違和感がある。
その点で言うと、トップが変わると、上から下まで全部意見が変わってしまう自民党はかなりおかしくて、むしろ「改憲派で、安保法に賛成ならなんでもオッケー」という希望の党の方が理解しやすい。
#もちろん、そのスタンスは今だけなのかもしれないのだが。
基本の柱はこれとこれ、あとは議員の個人的主張を尊重する、という方が受け入れやすい。だって、その党の党首を選ぶことは僕たちにはできないのだから。
ところで、希望の党のようなごった煮がありなら、そもそも政党は必要なのだろうか、という疑問が出て来る。
今は、インターネットによって、生活者達の意見を吸い上げることも容易になった。政治家達の意見も知ることができる。これなら、選挙区を中選挙区程度に拡大して、自分のポリシーにもっとも適合する人へ投票すれば良いのではないだろうか。
もちろん、党議拘束の禁止、綱領やマニュフェストの開示、政党間での移動の自由化などがあれば、政党政治でも良いのだろうが。最も注意しなくてはならないのは政党政治がなくなったときにそれが独裁につながることだが、ちょっと考えてみた限りにおいてはそういう事態は思いつかない。
政党は本当に必要なのだろうか。
例えば、法案を審議する際、まず提案者がそれを国民に対して提示し、その案に対する疑問や意見をパブコメ形式で収集、それを集約した上で議員に提示し、議員はそれを読んだ上で自分で考えをまとめる。そのスタンスはウェブサイトで有権者に提示され、それを読んだ国民が各政治家に支持票を投票する。投票で上位になった議員が国会で議論し、最後に議員によって投票する、という形式ではダメなのだろうか。