僕が最初にビットコイン購入を勧められたのは数年前になる。まだほとんどニュースにもならない時だったので、結果論で言えばその時に買っていれば大儲けできただろうが、僕は買わなかった。なぜかと言えば、その価値が上昇する理由に納得ができなかったからだ。ツールとして使うのは全然構わないのだが、儲かる構造が好きではなかった。
ビットコインで儲けるのは、ネズミ講の親になるのと似ている。
仮想通貨に親と子の関係はないし、通貨を保有し続けていれば、初期に参入していても、仮想通貨の価値が下落し自分の利益が減少する可能性がある点は、ネズミ講と全く違うので、構造的には異なるものである。では、どの辺が似ているのか。
ビットコインをはじめとして、仮想通貨の価値を上下させるのは市場の「価値があがるだろう」という「期待」である。価値が上がると思う人が多ければ、購入する人が増えて、価値がアップする。少なければダウンする。
A→B→C→Dという時系列において、Aで100円だったものを、Bにおいて「もっと高くなるだろう」と考えて誰かが150円で購入する。その誰かの「期待」によって、Aにおける保有者は50円の利益を得る。
価格がCの時点で100円に戻ればBで買った人は損をするし、200円になれば得をする。Bで買った人が得をするためには、「Dになれば250円になるかもしれませんよ」と吹聴して、Cの時点で200円で買う人、「期待」する人を増やすことが得策だ。その人数が増えれば増えるほど、「期待」の絶対量が増えるほど、自分の儲けは増えることになる。
後続者に、「あなたも、私のように儲けられますよ」と誘うところがネズミ講に似ている。
ただ、「期待」の供給はいつまでも続かない。誰でも期待が過剰になれば「そろそろ潮時だろう」と「不安」になる。
仮想通貨の面白いところは、ネズミ講と違って、後発でもタイミングをうまくはかれば得する側になれることである。「期待」する人が減って、価格が落ちれば、「またあがるかも」と「期待」する人が現れる。何度外れても、「今度こそは」と宝くじや馬券を買い続ける人がいるのと同じである。
だから、上がっては下げ、下げては上げる。
結局のところ、その仮想通貨の知名度と、実際に取引できる人口と、取引できる場所がたくさんあって、取引が容易であることが重要なのだ。
仮想通貨の保有者は、保有している限り「あがるぞ、あがるぞ」と言い続けるだろうし、一度手放したら、今度はそのリスクを煽って下げることを「期待」するだろう。もちろん、安くなったところでまた買って、「あがるぞ、あがるぞ」というのである。芸能人や、著名人が仮想通貨に言及するときは特に注意が必要である。彼らがつくる雰囲気は「期待」の総量に大きな影響を及ぼす。「あいつが始めたらしい」も、「あいつが大損したらしい」も、同様に怪しい情報である。これに踊らされる人間が一番損をする可能性が高い。
仮想通貨は、「このくらいが適正」という標準がないので、ただただ乱高下を繰り返すだろう。明日アップするかダウンするかは市場の「期待」の総量に左右されるので、予測が非常に難しい。ただ、「中国で規制が入った」などの参入者に対する干渉の影響は大きくて、大規模に参入者が減少すれば、ほぼ確実に下げる。逆もありうるが、基本的には増えるときは漸増、減るときも漸減が基本で、時々事故で激減、という形になると思う。
有識者は適正価格の存在を匂わすが、そんなものがあるかどうかは疑わしい。その価格を決めるのは大勢の心の中にある「期待」でしかない。
僕には、外野として、世の中の「期待」の総量がどう変化するのかを眺めていて、時々起きる大事故で「持ってなくて良かった」と「安心」するのがちょうど良い。
#なお、専門外なので詳細には勉強していません。