2018年04月11日

結局我慢できなくなって梯子を外した日本サッカー協会

前回の2014ブラジルワールドカップで日本チームに何が起きたのか、ほとんどの日本人は忘れているだろう。簡単に書けば、ポゼッション・サッカーを目指して、ズタズタにされたのである。その伏線はブラジルの前の2010南アフリカワールドカップにあって、日本はそこで善戦してしまった。チーム力はそれほどでもなかったけれど、結果は一次リーグ突破という望外のものを得てしまった。そして、南アフリカ大会の主力が残っていたので、俺たちでもできるんじゃないか?と勘違いして臨んだブラジルで、木っ端微塵に粉砕された。現実を目の当たりにした日本が招聘したのがアギーレであり、アギーレのトラブルによる退陣を受けてのハリルホジッチだった。

ハリル・ジャパンの目指すところは簡単で、弱者が強者に対する時の「負けにくいサッカー」である。ゾーン・ディフェンス&ショート・パス・サッカーという、欧州の強豪クラブや強豪国が展開する華麗なサッカーではなく、マン・ツー・マン・ディフェンス&カウンター・サッカーという、日産サポーターだった僕がJリーグ前に散々見慣れたサッカーである。このスタイルの特徴は中盤が存在しないことで、いわゆる「縦パスドッカン」である。華麗な攻撃がないので、観ていてつまらない。しかし、負けにくい。昔、日産は読売と覇権を争っていたのだが、その時のキャッチフレーズが「カップ戦の日産」だった。華麗なパスサッカーを目指す読売に対してカウンターサッカーを展開し、そして勝利を収めてきたのが当時の日産だった。リーグ戦でもそこそこ戦えて、トーナメントでは無類の強さを発揮するのがこのサッカーだ。ブラジルで叩きのめされ、さらに当時の主力たちが衰えを見せている以上、カウンターを主戦術に据えたハリルの選択は決して間違ってはいなかったと思う。

しかし、目指すサッカーが違ってくれば、起用される選手も変わってくる。カウンター・サッカーではディフェンス・ラインだけでなく、ミッド・フィールダーであっても守備が要求されるし、ゾーンではなくマン・ツー・マンの守備が必要なので、フィジカルの強さが大事になってくる。サイド・バックの仕事はサイドからの押し上げではなく、敵のウィングに対する守備になる。これによって、中盤から抜け出すところに味のある香川や柴崎、サイドからの攻撃参加が得意な長友は持ち味を消されるし、本田も一番やりたい前線へのパス供給が必要なくなる。前線でターゲットとなってパスを収めることが苦手な岡崎も、居場所が見つけにくい。

じゃぁ、そのカウンター・サッカーの仕上げになる絶対的なフォワードは誰なんだ、ということになるのだが、残念ながら、今の日本代表にはそういう人材はいない。また、一対一に優れて、一人で前線に抜け出すことができるサイド・ハーフも存在しない。だから、勝つのは難しい。しかし、負けにくい。負けなければ、何かの偶然で点が入って、グループ・リーグを突破できるかもしれない。この、我慢のサッカーが、ブラジル後の日本サッカーの選択だったはずなのである。そして、それがダメなチームだったかといえば、決してそんなことはなかった。酒井高徳が時々やらかしたりはするものの、攻守に、ハリルの戦術が良く刷り込まれた、組織的なサッカーを展開していた。

しかし、結局、日本サッカー協会は我慢しきれなかった。

バルサやバイエルンみたいなサッカーができるなら世話はない。それができず、対戦相手は格上ばかり、という状況においては、実質的に選びうる選択肢はそう多くはない。その中で、現実的な戦い方を選び、グループリーグ突破の確率を最大限にアップさせようというのが、ハリルホジッチの戦略だったはずだ。そして、その成果がどうなるのかが明らかになる、これからの日本代表の数年か、十数年の行方を決める戦いが始まる直前に、ハリルホジッチは理不尽に解任された。

火中の栗を拾わされた西野は、スポンサーの要望に忠実に、チームの核に本田、香川、長谷部、長友を据えるだろう。日本代表は、ブラジル直後へ逆戻りしたことになる。これを喜ぶのは、超攻撃的サッカーが日本人でも展開できると信じて疑わない夢想家と、ドシロウトと、結果なんてどうでも良いから視聴率だけ稼ぎたいマスコミだけではないか。

だいたい、これで良いなら、監督なんて誰だって良かったんだよ。最初から西野にしておけばまだ納得できた。勝負はやってみなけりゃわからないけど、これでグループ・リーグを抜けられなかったら、田嶋幸三と西野はただじゃ済まないぞ。