日本人の頭の悪いところが良く出ている記事である(もちろん、すべての日本人が、ではないが)。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00010000-khbv-l04
記事では、羽生結弦のパレードのスタッフジャンパーがネットで高値で落札されていることを問題視しているのだが、実行委員会が「道義的に問題がある」って、バカ丸出しである。経済が活性化して良いことだし、どんな道義に反するのか理解不能だ。
僕からすれば、こんなことを問題視するくらいなら、そもそもボランティアに協力を仰ぐ方がおかしい。ユニフォーム代など、どこかから予算を捻出する余裕はあるのだから、そんなジャンパーなど作らず安価なリボンや腕章を使って、スタッフは有料で雇用しろよ、という話である。ボランティアこそ、何の経済効果も生まず、労働力を搾取している悪行である。ジャンパーなども、「スタッフの記念になるし、自分たちも嬉しいから作ろう」というよこしまな考えが透けて見える。本当にくだらないもので、耐久性も低ければ、例えば紙で作った名刺を既製のフォルダに入れて使うなら、個人名も書かれていて転売の可能性などほとんどないのである。そして、役割は十分に果たすことができる。「感謝の意味」を品物に含めて、その気になっているからこんなことになる。感謝の意味は金で払うのが一番簡単だ。
日本人には、商売や金が汚いものという意識が根強いと感じる。チケットの転売でも同じだが、「楽して儲けるのはけしからん」という考え方なのだろう。しかし、楽して儲かるなら結構なことだ。汗水垂らして働かなくて良いなら、それに越したことはない。「そんなことになったらみんな働かなくなる」なんていうことは杞憂で、誰かがやらなくてはならない、でもみんながやりたくない仕事は給料が上がるだけのことだ。労働者のスキルアップにつながらない、それでいて負荷の高い仕事は高給なのが当たり前で、少なくないケースでそうならないことの背景には、「苦労することは美徳」というマゾヒスティックな思想があるのだろう。
チケットの転売問題の時にはこう書いたのだが、
ネットダフ屋を法規制することの愚と、まずやるべきこと
http://buu.blog.jp/archives/51557746.html
今回のケースも同じで、悪いのは売った人たちではなく、売ることができる状態を作った実行委員会である。自分たちが悪いのに困惑しているって、お前らはどれだけ無能なんだ、という話である。本当に困るなら、スタッフは普通に雇用して、賃金を支払い、ジャンパーは回収すれば良い。
この記事を読んで溜飲を下げている人間たちもずれている。ユニフォームが高く売れて羨ましければ、お前らもボランティアやって、同じように転売すれば良いだろ、という話である。日本人は、少数が幸福になるくらいなら、多数が公平に少しずつ不幸を分け合いましょうと考えがちである。そのおかげで社会全体が少しずつ不幸になってきている。いつまで経ってもUberが本格導入できないなど、海外では当たり前のことがさっぱり実現しない。島国で、外がどうなっているか気がつかないのだろう。
だいたい、ジャンパーが高値で売れて、誰が困るのだ。「誰かが楽して大儲けしている」というのが不満なだけ、ただの嫉妬である。そいつらは、ジャンパーが不要な人が「こんなのいらない」とゴミ箱に捨ててくれれば嬉しいのだろう。
こういう社会主義的な思想がテレビで垂れ流されて、同じような人間が再生産される。外部からの指摘は期待できず、改善の望みもあまりなさそうだ。この風土が肌に合わない人間は、さっさと海外へ逃亡するしかない。