2019年01月17日

芸術と落書きの間

東京でバンクシーのものと思われる作品が見つかった。この絵はバンクシーの作品集に「東京2003」として紹介されていたのだが、

このことで、東京都の小池知事が嬉しそうに、ツイッターに写真を載せている。



個人的な感想は、バンクシーの作品はそこにあってこそのメッセージなので、よそに移動してしまっては台無しだろ、とか、バンクシーのメッセージはポジティブなものじゃないので、知事としては喜んでいる場合じゃないぞ、というものだった。



ところが、ツイッター上での小池知事に対するメッセージの主たるものは「落書きなんだから消せ」というものだった。これは日本人の芸術に対する不見識を象徴している。「芸術家なら落書きしても良いのか」という意見もあったのだが、実際、そうだと思う。じゃぁ、どこまでが良くてどこからがダメなんだ、ということになると線引きは難しい。最終的には、描かれた側がどう考えるかだろう。いまどき、バンクシーに何かを描いてもらって、怒ってそれを消してしまう人間がどれほどいるのだろうか。今回の場合、落書きされたものは防潮扉なので、問われる可能性があるのはおそらく器物損壊罪だろう。これは親告罪なので、管理者である東京都が被害届を出さないのであれば犯罪にはならない。

米国は、日本に比べてずっと落書きが多い。しかし、では、米国人たちはみんな落書きに寛容かといえばそんなこともない。ニューヨークへ行くとそこかしこに落書きが溢れているのだが、そんな街でも、現代日本人アーティストとしては三指に数えられると思われる奈良美智が、地下鉄のホームでの落書きで1日拘束されたりする。この件では、奈良美智を捕まえた警官が奈良美智のことを知らなかったようだが、彼の作品の価値を知っている警官なら、対応は違っていたかもしれない。落書きへの対応は、人それぞれである。だから、見る側の見識も問われる。

結局のところ、芸術か落書きかを判断するのは、描かれた当人と、見る側の問題なのだ。

一番頭が悪いのは、「落書きなんだから消してしまえ」という奴らである。これが本物なら、取り外してオークションにかければ数千万円、日本で唯一という付加価値がつけば、もしかしたら億に届くかもしれない。都民が不要だとしても、取り外してオークションにかけて売ってしまえば、都の財政が多少なりとも潤うのである。

馬鹿とは、ものの価値がわからない人間のことである。

#それにしても、バンクシーのメッセージは、現段階では不明であるけれども、体制に対する批判だろう。つまり、東京都に対して「ばーか」と言っているのである。にも関わらず、知事がその批判を喜んで、記念写真をネットでばらまいているのだから、想定外の事態だろう。「日本人は良くわからない」と嘆いているかもしれない。