2019年11月20日

NODA MAP 「Q」2回目




一週間の間を置いて、2回目の観賞。前回は前の方だったけれど、今回は中央、やや後方。

中央だったおかげで、役者の声はちゃんと届いてきた。また、ベッド、白い布、紙飛行機といった象徴的な小道具による演出を楽しむこともできた。

一番大きいのは、ストーリーの全体像を把握しているので、細かい伏線を一つずつ把握できたことだろう。これによって、前半と後半のストーリーの乖離がずいぶん緩和された。僕以外の観客は、一度目の観賞からこうやって伏線とその回収に気がつくのだろうか。少なくとも、僕は一度の鑑賞では無理だ。ちなみに一度目の鑑賞で前半と後半の乖離が激しいと感じて、二度目で納得したのはこれがはじめてではなく、「逆鱗」でも同じ感想を持った。僕の読解力の問題なのかもしれない。

そうして、きちんとストーリーを把握して、全体像を俯瞰して思うのは、この芝居は松たか子のための芝居だったということである。「贋作・桜の森の満開の下」が毬谷友子の、「ロープ」が宮沢りえの芝居だったのと同じように。

遊眠社時代から野田秀樹の芝居を観てきた人間は、女優が彼の才能に惚れ込んでしまう場面を何度も見てきている。そして、時々、野田秀樹はそれに呼応するようにして、その女優にぴったりの芝居を書いてきた。今回は松たか子の番だったのだろう。「パイパー」は宮沢りえとのW主演のような感じだったし、「逆鱗」はとても良かったけれど、阿部サダヲの存在感も十分で、松たか子のための芝居という印象は持たなかった。本作は、歌舞伎との関連も含めて、正真正銘松たか子の芝居だったと思う。