2021年07月15日

「つゆのあとさき」考

Amazon Musicのおかげで昔の懐メロを色々聴くことができるようになった。僕は子供の頃グレープやさだまさしの曲を良く聴いていたので、懐かしくなって、iPhoneで再生した「つゆのあとさき」をカーステレオに転送して聴いてみたのだが、子供の頃は簡単に聴き流していた歌詞が色々気になって、何度か繰り返し再生してじっくり聴きなおしてみた。

歌詞はこんな感じ。

一人歩きを始める 今日は君の卒業式
僕の扉を開けて 少しだけ泪を散らして
さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて
折からの風に少し 心の代わりに髪揺らして
 
幸せでしたと一言 ありがとうと一言
僕の手のひらに指で 君が書いた記念写真
君の細い指先に 不似合いなマニュキア
お化粧はおよしと 思えばいらぬお節介

めぐり会う時は 花びらの中
他の誰よりも きれいだったよ
別れゆくときも 花びらの中
君は最後まで優しかった

梅雨のあとさきの トパーズ色の風は
遠ざかる 君のあとをかけぬける 

ごめんなさいと一言 忘れないと一言
君は息を止めて 次の言葉を探してた
悲しい子犬のように 震える瞳をふせた
君に確かなことは もう制服はいらない

めぐり会う時は 花びらの中
他の誰よりも きれいだったよ
別れゆくときも 花びらの中
君は最後まで優しかった

梅雨のあとさきの トパーズ色の風は
遠ざかる 君のあとをかけぬける


すぐ気がつくのは、学校の在学と恋愛を掛けていること。ところが、あれ?と思うのが、卒業の季節はつゆの前後ではないということ。ちょうど今頃で、咲いているとすれば桜ではなく紫陽花である。でも、紫陽花は花びらが舞うような花ではない。

僕の解釈では、比喩としての学校と、現実としての恋愛をわけて書いていて、比喩の世界では桜の季節に卒業していく場面を描き、現実では梅雨の季節に別れたんだろうな、ということ。

もうひとつ、どうなのかなと思ったのは、別れを切り出したのが男なのか、女なのか、ということ。一つ目のヒントは

さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて


の歌詞で、男がさよならと書いている。このまま受け取るなら切り出したのは男である可能性が高い。

次のヒントは

ごめんなさいと一言


で、この言葉は普通なら別れを切り出した側のセリフである。切り出された側が謝罪する場面も考えられなくはないけれど、かなり深読みしなくてはならない。

どっちなんだろう、と感じるのだが、最後の手がかりは男が学校で、女が生徒であるという点だ。男は最初からそこにいて、最後まで動かない。女は訪問者で、学校にやってきて、時期がきたので去っていく。また、女はマニキュアやお化粧で少し大人になっている。一方で男は成長がない。こう考えると、さよならを切り出したのは去っていく女の側だろう。男としては留年していつまでもいてくれて構わないのだ。でも、女は普通に成長して、卒業していく。

こう考えると、さよならを切り出したのは女で、男はそれを受け入れて「さよなら」と文字にした。男は未練いっぱいなのだが、プライドを示して「さよなら」と送り出す。男にそういう機会を与えたことが最後までの優しさだったのだろうと解釈できる。

運転しながら考えたのは、梅雨の時期に振られた男がその恋愛を学校の卒業に喩えて歌った歌なんだろうな、ということ。

作詞したさだまさしは、わざとわかりにくくして色んな解釈ができるようにしたんだろうが(今書いた解釈も正しいという保証はない)、当時25歳のさだまさしがこんな罠を仕掛けたのはすごいと思った。