


山口さんがほぼ適当に思い出を繋いで話したように聞こえた内容をきちんと学術的にこじつけて解説する臼井さん。臼井さんは山口さんのトークや創作に難しい表現で迫ろうとするけれど、山口さんはおそらく自分が面白いと思うものを描いているに過ぎず、それは今日のトークも同じで、群馬近代美術館をテーマに面白く話しただけ(とはいえ、褒めてはいる)なのにそれを難しく解釈しようとしていて、そのすれ違いっぷりが面白かった。
トークが終わってから、山口さんが指摘していた「群馬近代美術館の建築物として面白いところ」を撮影してきた。

使えない階段。

なぜか階段があるのに行った先には何もない。トマソンかと言われればトマソンでもない。なんだこりゃ。

細い通路の先はいきどまり。



この辺はかっこいいけれど、良く見ると

もちろん行き止まりである。細いから掃除が大変そう。でも、そんなことはお構いなしである。

外に出られるのかと思って近づくと、

出入り禁止。この扉を使う機会はほとんどないのだろう。扉に見えてこれは扉ではない。「ここに扉があればかっこいいよね」という何かである。これは何か、そんなの関係ない。

この辺は消失点の中に見る人を立たせちゃうらしいけど意味がわからなかった。

さっき開かずの扉のせいで行けなかった場所へ行ってみたいので、外に出てみると階段あり。無事2階からのながめ。山口さんは戦艦の艦橋を想像するらしいが、僕の知っている宇宙戦艦ヤマトにはこんな艦橋はない。


通れないガラスドア。

ガラスドアからの通路。もちろん意味はない。行き止まりだもの。強いて言えば「通れると思ったでしょ。ばーか、ばーか」ぐらいの意味だろう。それで良いというのが建築家の主張である。




除草されない雑草。ここは建築家は関係ない。
山口さんは近代美術館をけなすのではなく、面白おかしく「近美の建物って、かなり異常」(繰り返しだけど、褒めてる)と語っていて、どの辺が異常なのかは写真を見たらかなり理解できると思う。
ちなみに正面ロビーの消失点は、写真を見ても、現地で見ても、何を言っているのか理解できず、猫に小判も実感して帰ってきた。全てを理解しようなどとはおこがましいのである。わかったような顔で帰ってくるのが江戸っ子である。東京に住んだことはないけれど。