赤鬼日本バージョン
赤鬼3連作の最後、日本バージョンを観てきた。
やはり、「野田作品の再演は難しい」にばっちりはまってしまっていた。今回はまってしまったのは大倉孝ニ。お気の毒としか言いようがないのだが、自分のカラーを持った役者がそれを野田作品にそれを持ち込もうとしてはまる典型。別に下手な役者じゃないし(というか上手)、存在感も十分。そして、だからこそ「ダメ」。一方の小西真奈美。彼女は非常に良く芝居にフィットしていた。彼女なら「走れメルス」も問題なくこなすだろう。
赤鬼の場合、「あの女」(初演は富田靖子)は比較的カラーのない役で、舞台の主役でありながら、演じやすいものだと思う。役がかなり明確に規定されているので、演出に忠実に演じるとブレが出ない。これは実は「とんび」にも言えることで、カラーはあるが幅のない登場人物である(桜の森の満開の下の夜長姫みたいな感じ)。そして、唯一「水銀」は自由度が高い役だ。しかし、少なくとも今回提示された「大倉色」は、僕には受け入れがたい。
作品内容についてはもう今さらなので、過去の
ロンドンバージョン、
タイバージョンの芝居評を参考にして欲しい。今回の内容は初演をほぼ踏襲したもので、日本人3人プラス外人1人という、かなり切り詰めた役者陣。しかし、まさにこれこそがこの作品の肝であることを再認識させてくれる。これを見てしまうと、ロンドンバージョン、タイバージョンが根本的に重要な部分を失っていた事が良くわかる。役者達は老人から若者まで、次から次へと役を変えていく。この目まぐるしいまでの転換、それを的確に演じていく事が役者に求められる。この点では、今日演じていた3人はそれぞれに上手に演じていた。
残念なのは、やはり大倉。彼のテーストが決定的に水銀(ミズカネ)に合わないのである。遊眠社で言えば、松沢や段田にはできても上杉や田山にはできない、そういう役で、大倉のカラーは後者だったということだ。ミズカネに要求されるものは、若さや体力で押し切る質のものではないはず。また、軽薄なだけの存在でもないし、ギャグでかわすタイプでもない。軽薄な部分、芯の強さ、シニカルな視点、したたかさ、そしてその裏にある愛情。これらをうまくミックスした上での「役作り」であるはず。大倉の個性には、どうもこれらをうまく配合するだけの引き出しがなかったようだ。
今回の作品、パーツに分けて評価すると、作品は超一流、演出も超一流、役者はほぼ一流(役者の質的には、野田が一番下かも。芝居をやる役者としては、野田はもう賞味期限切れぎりぎり)、プロデュースは二流、という感じ。
カレーにサツマイモを入れても、カレーとサツマイモがきちんとしていればそれなりに美味しいものが作れる。しかし、どうせならジャガイモを入れた方が美味しい。そんな印象を受ける芝居だった。評価は☆2つ半。タイバージョンを4人でやるか、日本バージョンを大倉じゃない人でやればねぇ・・・・・
ちなみに今日は楽日。だったけど空席が目立った。一応チケットは完売していたはずなので、台風で来られなくなったのかな???前のお姉さんが立ち上がって拍手していたのでカーテンコールは良く見えなかったけど、少なくとも立ち上がって拍手したくなるような出来ではなかった。
Posted by buu2 at 17:47│
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いやぁ、見てきましたよ。「赤鬼」日本バージョン。 もう楽しみで楽しみでたまらなか
「赤鬼」日本バージョン【りゃまのお芝居レビュー】at 2004年10月20日 18:36
はじめまして。比較的最近野田演劇を観るようになった者ですが、自分も日本版のミズカネが今回のワーストだったと感じました。でも芝居自体の出来はロンドン版が一番バランスが取れていると思ったのですが・・・・・・。
今は年末〜年明けにかけての『メルス』を楽しみにしています。
こんにちは!
バランスですか。まぁ、ロンドンバージョンの役者の質はバランス良く低かった、ということは言えると思うのですが。
とにかく、横目で相手の動きを見ながら自分も動く、というのは勘弁して欲しいです。動きを、周りに合わせて調節しているのがわかってしまうんです。ちゃんと、自律的に動いてくれ、と思います。ロンドン版は指揮者(野田)がいて、それを見てみんなが動く、という形になってしまっていました。ストレートに言えば練習不足、あるいは役者の力量不足。あれで7500円を取るというのはちょっと、という感じです。再演してくれても、同じ役者でやるなら二度と見ないですね。