2004年11月28日

血液型占いに関する一考察(というほどのものでもない)

血液型占いがイジメの原因、みたいなことで問題になっているらしい。二重の意味で馬鹿らしい。まず一つ目は血液型占いについて。そしてもう一つはイジメの原因になる、ということで問題になる点で。
占いには大きく2つのタイプがあると思う。一つは統計学的なもの。もう一つは予言的なもの。統計学的なものには血液型、占星術などがあるだろう。風水もこの類かもしれない。予言的なものとは、特に理由もなく占い師が「あなたはこうに違いない」と決め付けてくれるもの。後者はあんまり事例がないが、細木さんなんかはこれが近いのかも知れない。

さて、今回問題になったのは血液型占いで、これは統計学的な占いに分類されると思う。

血液型占いはどんなものか。それほどたいそうなものじゃない。4種類の血液型の人間をそれぞれクラスタリングし、そこに見られる傾向を統計学的に抽出する。それを一般化し、逆に各種血液型の人間に対してその類型をあてはめればおしまいだ。

例えばO型の人の集団が、他の型の集団に比べてがんの発症率が高ければ(そんなデータがあるかどうかは知らないけど)、O型の人間を捕まえて「あなたはがんになりやすいですよ」と言ってやれば良い。こう書くと占いも非常に科学的っぽく見えるのだが、じゃぁどの位なりやすいのかといえば恐らくはほんの数パーセントの違いだったりするんじゃないだろうか。まぁ、こんな統計は取ろうと思えばいくらでも取れるし、母集団を大きくすればいくらでも信頼性が向上する。「がんになりやすい」なんてことをテーマにするとサイエンスっぽくなるが、ここで「おっちょこちょい」だとか、「ずぼら」だとか、「神経質」だとか、いろんなふわふわしたものを持ち出してくるととたんに占いっぽくなってくる。

ま、今世の中で流れている血液型占いの内容がどこまで厳密に設定されているかはさっぱりわからない(もしかしたら予言みたいに、まったくあてずっぽうに誰かが決め付けている可能性ももちろんある)のだが、やろうと思えばかなり厳密に設定できるし、科学的に十分根拠のある占いの体系を作り上げることができる可能性もある。逆に、全ての差異が誤差範囲内にとどまり、血液型からは何もわからない、という結論になる可能性ももちろんあるのだが。

今のところ、僕は血液型占いは全く信用しないのだが、それはこうした科学的な根拠や明確な調査結果がなかなか公開されないからだ。一方で、血液型に比較すれば占星術は多少信用する価値があると思っている。というのは、血液型というのはここ数十年の間に発見された、ちょっとした糖鎖のつきかたのバリエーションで、それが発見されてまだ間もない。また、血液の種類はABO型以外にもたくさんあり、その中の一つを取り上げているに過ぎない。まぁ、ABO型がわかりやすいといえばわかりやすいのだろうが、それにしても血液型による人格の類型というのもまだまだ歴史が浅いのだ。ところが占星術は違う。縄文時代、弥生時代から占星術は行われていたようだから、その歴史たるや2000年程度、あるいはそれ以上である。当然、その間に積みかさねられてきた事例も膨大である。したがって、統計学的に見ても誤差が少ない事が予想される。だから、占星術を信じる人にはそれなりの理解を示す気にもなるのだ。そして、逆説的に、血液型の話をする人間は生物系のサイエンティストとしてはいかがなものかと思うのである。

そういうわけで、理科系の人間、特に生物関連を専門とする人間は血液型占いなどはなっから信じてはイケナイと思うのだが、僕の周りにいる生物関係者(元東大教授とか、東大教授とか、東大助教授とか)の多くはなぜか血液型を信じている。そして、恐ろしいことに大学の人事などにあたっても、血液型を参考にしたりしている節がある。「あの人は○型だから、△△教授とはあうはずがない。別の講座にまわそう」などと、どこまで真剣かは知らないが、話しているのである(^^; 仕方がないので、そういう人たちが酒を飲むたびに上に書いたような話をしてあげて、歴史の浅い統計学的占いにどうしてそこまで熱をあげるのかと話をしてあげている。もうこの手の話は10回では足りないくらい話しているのだ。もちろん、彼らは僕の言う言葉になど聞く耳は持たないのであるが。

こんなに根拠のない血液型占いがなぜここまで日本人に好まれるのかと言えば、まぁ、日本人はレッテルをつけるのが大好きで、自分にも他人にもラベルをつけたくて仕方がないということなのかもしれない。何か自分に理解できない事があると、そのたびに血液型のせいにできるならこんなに楽なことはない。

ということで、血液型ごときでぎゃーぎゃー言っているのは、どうもヨンさまが来るといって大騒ぎをしているおば様たち、投げ込まれたポップコーンに群がる鯉、バナナを投げ込まれて大騒ぎをしているサルなどを見るような気分ではあるのだ。最近ネットで流行っている「あなたの○○度テスト」なんかの方がよっぽど統計学的に信憑性があると思う。

で、まぁ、血液型がナンセンスだというのはこういう理由なわけだが、今度はそれがイジメの原因になっているといって、自粛を求めているというからまた笑ってしまう。もう、この国は本当に言葉狩りが大好き。あれはダメ、これはダメ、のオンパレード。何かあると禁止。禁止することに反対すると今度は「お前は弱者の立場に立てないのか」と来る。次から次へとダメって話になるから、「あれ?これってどうなんだっけ?」って考えなくてはならなくて大変だ。ATOKは親切だから、シナチクとか一発変換できなかったりして、そこで初めて「あぁ、これってNGワードなのね」と気がつく始末。キチガイって、何でだめなんだろう。気狂いピエロなんていう名作映画があったけど、あれなんか一体どういう扱いになるんだろう。「ちょっと抜けてるピエロ」とかに変更になっているんだろうか。

ギッチョとかも良くわかんないよね。何でダメなのか。いいじゃん、別に。ギッチョはダメで、サウスポーは良いのか(^^;?理由がわかんない。外人もダメだって?害人に通じるから(^^;?じゃぁ、外国だって害国だよね。片親もだめなの?そのうち馬鹿やアホも「頭が不自由な人」とかになるのかな。禁止用語のかわりに使われている言葉もいつダメになるかわかったもんじゃないよね(^^; 「不自由」はダメだ、みたいな。「頭の思考回路が世間一般の標準とはやや異なる人」とかになるのかな、馬鹿が。

ちなみに僕は片親でギッチョだけど、別に片親、ギッチョって言われても全然問題ない。っていうか、自分で言ってるよ(^^; ということで、血液型占いがイジメにつながろうがなんだろうが構わないじゃん。これまでだって、B型っていうだけで肩身の狭い思いをしてきたB型の人はたくさんいるんだし。それとも「血液型占いは非科学的で根拠が薄弱である。それが人間のレッテルはりに通じ、結果的にイジメの原因にもなりかねないので、全面的に禁止すべし」ってことになるのかな????ま、それならそれでも良いけどね。

注釈:血液型占いにも色々あって、性格とか相性とかを統計学的に考察するのは意味があると思うのだが、朝のワイドショーとかでやってる、血液型別の今日のお勧め行動パターンみたいなの(血液型選手権、フジテレビでやってる奴)は完全な予言型で、全く役に立たないものに分類されると思う(個人的主観です、はい)。

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ブログを始めてちょうど1ヶ月が経ちました。飽きっぽいのでいつまで続くか分からないですが(笑)、更新頻度が落ちても続けて行きたいと思います。これからもスポーツを取り上げることが多いとは思いますが、他のジャンルも取り上げて行きたいと思っています。という
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 週刊!木村剛に、血液型占いの話が出ていた。  トラックバックしているブログを見ても、大体血液型占いについては否定的に書いてある。無論私も血液型占いなんて信じちゃいない。というか占い全般、さらには心理テストも信じていない。  だがそれでも、血液型と正確....
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