
写真はFIFAオフィシャルから。
http://www.fifa.com/womensworldcup/matches/round=255989/match=300144437/summary.html
サッカーには、「10試合やっても一度勝てるか、勝てないか」という試合に勝てることがある。過去の日本代表で言えば「マイアミの奇跡」がそれにあたる。そして、女子ワールドカップ決勝でも、そんな試合が展開された。
米国は、立ち上がりからピッチを幅広く使ってきた。キック力に劣る女子のサッカーでは、パススピードが遅くなる。それをカバーするためか、ピッチを前後左右にコンパクトに使い、選手間の距離を狭める傾向がある。前後にコンパクトにするのは男子の試合でも良く見られるのだが、左右にコンパクトにするのが女子の試合に象徴的なのだ。先日の日本対スウェーデンなどはその傾向が顕著で、テレビの画面の中にフィールドプレイヤーのほとんどが映っている、などというラグビーのような状態が発生していた。そんな中、左右にも広く使ってくる米国のスタイルは、いわば「普通の」戦術だった。加えて、スウェーデンが見せたようなディフェンスに対する素早いプレスを敷いてきた。その結果、どういう状態が発生したか。まず、左右両サイドにフリーの選手が生まれた米国は、その選手たちにパスを供給することによって、ピッチを制してしまった。両サイドへのディフェンスが間に合わず、日本のサイドバックはその対応に追われた。鮫島、近賀の両サイドバックの攻撃参加は日本チームの生命線で、ここをシャットアウトされると手詰まりになる。そして、米国はピッチを広く使う、という比較的当たり前の戦術によって、これを実現した。
ピッチを広く使われ、加えて素早いプレスによって、前半、日本はほぼ完全に攻めを封じられ、サンドバック状態となってしまった。グラウンド中央ではボールを持てるのだが、パスを回しているうちにミスが出て、それを拾われると一気にピンチを迎えることになる。日本はいつ失点してもおかしくない状態に追い込まれ、そして、トーナメントならではの「負けられない」という思いもあり、防戦一方になってしまったわけだ。だが、ここで活躍したのが日本の12人目の選手。後押ししたのはスタンドの観客でも、日本で応援している人たちでもない。クロスバーだ。クロスバーが日本の強力な助っ人として加勢してくれたおかげで、圧倒的に不利な状態をなんとか無失点で乗り切ることができた。
米国の攻撃の核になっていたのは15番のラピノーで、彼女のスタミナがいつまで持つかが勝負の行方を決めると思われた。ラピノーを中心にして精力的にピッチを走り回った米国だが、さすがに前半の後半になるとスピードは落ちてきた。この段階になって初めて、日本はシュートまで持ち込む形、サイドバックが攻撃参加する形を作れるようになった。
後半になっても米国の優勢は動かなかった。相変わらずピッチを広く使う米国に対して、コンパクトに、コンパクトに、と実直に基本方針を守っていく日本。しかし、米国に比較して選手間の距離が狭いために、必要以上に選手が集まってしまい、選手が重なってしまう。選手が重なるということは、狭い局面では数的有利を築けるものの、それ以外の場所では選手が足りなくなっていることを意味する。米国は、その余った選手をバックラインに配置した。だから、日本が折角高い位置で米国のボールを奪っても、カウンターに入ったときには米国はすっかり準備が整っていた。フィジカルで劣る日本がこの米国の守備ブロックを崩すのは至難の業である。野球なら、こんな展開でもホームラン一発で局面が打開できることがある。サッカーでも、フリーキック一発で状況が変わることがある。ところが、女子サッカーは、それが少ない。キック力がないために、どうしてもフリーキックやコーナーキックといった、1蹴りで局面を変える、というケースが起きにくいのである。逆に、米国はラピノーがキック力でも男子並みの能力を発揮していて、日本はいつ失点してもおかしくない状態だった。
しかし、ここで今度は日本に13人目の選手が登場する。それはゴールポストだ。クロスバーだけではなく、ポストまでが日本に味方して、なかなか失点を許さなかった。こうなってくると、我慢比べである。後半の前半はほぼ拮抗した力関係になり、そのバランスはどちらに転ぶかわからなくなった。しかし、やがてそのバランスは米国側に崩れた。その主役は、後半に投入されたモーガンだ。モーガンは男子で言えばルーニーのようなタイプで、がっちりした体格とそれに見合わないスピードを併せ持っていた。組織サッカーが最も苦手とする、一人で何とかしてしまうタイプの選手だった。日本のセンターバックは、何度かこの選手に体を入れ替えられてしまい、ペナルティエリア付近でフリーでボールを持たせてしまうという信じられない場面を作ってしまっていた。そして、後半24分に、ほぼ完璧な形でモーガンに決められてしまった。再三決定機を作り出していたラピノーからのロングパス。これに対してモーガンは日本ディフェンスをかわしつつ抜けだして、キーパーとの一対一を作り出す。これを決めるのは造作も無いことだった。日本に残された時間はたった20分。通常、こういう状態に追い込まれると、フィジカルに劣るチームは為す術がなくなる。僕も見ていて「これは駄目だ」と諦めかけてしまった。
ところが、何が起きるのかわからないのが女子サッカーである。攻めるしかなくなってある意味吹っ切れた日本は、持ち前のポゼッション能力を「失点しないこと」ではなく、「得点すること」に使うようになった。多少のカウンターのリスクには目をつぶり、前方にパスを供給するようになった。ボランチとして攻めの起点になっていた沢は、頻繁にオフェンシブな位置に顔を出すようになり、日本の攻撃をコントロールし始めた。オーソドックスな4−2−2−2(フラットな4−4−2)のシステムを、頻繁に4−1−3−2に変更、沢からも、サイドからも攻撃ができるようにした。この変更はどうしてももう一枚のボランチに負担がかかるのだが、沢の攻撃参加は珍しくないので、慣れてはいたはずである。ただ、通常は、格下の相手に使っていた戦術だったんだと思う。米国は明らかに格上だ。しかし、この、やや捨て身の戦術が米国の焦りを呼ぶ。失点から10分後、米国は自陣のゴールの目の前で、ディフェンダー二人がクリアミスを繰り返し、そしてそのこぼれ球がなぜか宮間の足元に収まってしまった。この千載一遇の好機を、宮間はしっかりと決めた。このあたりから、沢の活躍は凄かった。できれば、この勢いのあるうちに勝ち越しておきたかった。しかし、最後の最後でツメが甘く、試合は延長戦に突入してしまった。
延長に入っても、モーガンの圧力は相変わらずで、一つ間違えると失点、という場面を何度か作られた。そして、とうとう延長前半の終了間際に、モーガンにやられてしまう。左サイドから強引に持ち込まれ、決定的なクロスをあげられてしまった。モーガンに意識を集中していたディフェンス陣は、ゴール真正面の至近距離でワンバックをフリーにしてしまう。米国のストライカーがこれを外すわけもなく、日本は延長戦で決定的とも思える失点を喫してしまった。
延長後半に入り、米国は「失点しないで15分間を費やすこと」を考えた。ここまで日本を脅かし続けたラピノーを下げ、勝利を確実なものにしようとした。一方で得点するしかない日本は捨て身の攻撃を続ける。そして、クライマックスは延長後半12分に訪れた。左コーナーから上げられたクロスに、ニアに位置した沢が合わせる。これが見事に米国ゴールを捉えた。120分近く戦った中で、日本が初めて決めた「まともな」ゴールだった。
起死回生のゴールを決めた日本は、残りの時間を耐えに耐えた。終了間際には退場者を出し、ゴール直前でのフリーキックも与えたが、これをなんとか守りきった。そして、あとはPK戦。これはもう、運だけである。日本はそれを120分間で使いきってしまったかも、と心配にはなったが、それは杞憂だった。最後まで運を使い果たさず、見事に世界のトップに立った。もちろん、日本の優勝は運だけで決まったわけではない。ベースには選手を含め、関係者達の日々の努力がある。でも、それは米国だって同じはず。決勝戦のピッチに立った選手たちがみんな、人事を尽くしたことだけは間違いがない。そんな中で、日本の選手たちに良い結果が与えられたのは、最後まで諦めなかったからだろう。ともあれ、今朝のリザルトは、日本サッカー界における史上初の快挙となった。
#前日、森孝慈氏ががんで亡くなった。間に合わなかったことだけが残念である。
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