山道ではない。獣道ですらない。道がない。それだけではない。斜度が40度を超えている。40度といってもピンと来ないかも知れないが、実際の斜面に立てばほとんど崖のように見える。いや、見えるというのは正確ではない。多少は目が慣れたとはいえ、懐中電灯の明かり以外は、半分よりも若干欠けた月のあかりがあるだけなのだ。実際には、顔のすぐ前に斜面があることを、土の臭いで感じているに過ぎない。頻繁に顔に触れる植物は、葉なのか、枝なのかもわからない。とにかく何かが顔にあたる。そして、おそらくそれは植物の何かなのだろう。
そんな険しい道を、いや、道ではない、険しい崖を、大きな荷物を背負って登っている。毎日50回の腕立て伏せと、100回の腹筋・背筋のトレーニングの成果もあって、多少なりとも体力には自信がある私だが、頻繁に訪れる難所で山下教官の太い腕が私を引き上げてくれなければ、とてもではないが目的地には到達できないだろう。私は山岳部ではないし、趣味で登山を楽しむこともない。山に登るのはロープウェイやゴンドラ、リフトで十分だ。以前パラグライダーをやったことがあるが、パラグライダーも登るのは自動車である。高い場所からの良い眺めは、楽をして到達してこそ満喫できるというものだ。苦しい思いをしてこそ、などと考えるのは単にマゾヒズムである、というのが私の持論である。
「ここを登ってしまえばあとは平地ですから、頑張ってください」と山下教官が言う。確かに平地には違いないが、多分道などはないのだ。なぜなら、今、ここに道がないからである。アプローチの道がないところに、突然道が現れるわけがない。どうせ道がないなら、植物が少ない分、斜面の方が楽なんじゃないかと思ったりする。それにしても、良くもまぁこんな場所を見つけてくるものだ。この国にもこんな未開の地があったことに驚かされるが、そんな場所を見つけてきたことにはもっと驚かされる。この国の防衛隊はよっぽど暇なんだろう。
私の国には「防衛隊」と呼ばれる軍隊がある。過去の歴史のせいで、私の国は軍隊を持つことが名目的に許されていない。他国から見れば紛うことなき軍隊だし、国民から見ても軍隊なのだが、「防衛軍」とか「陸軍」などと呼ぶと脳味噌がお花畑の一部の国民が騒ぎ出す。そこで、看板だけ「防衛隊」としているのだ。確かに、機動隊、警察隊、少年隊と、漢字二文字に「隊」がつくものは軍隊ではない雰囲気がある。しかし、漢字を知らない国の人々には、「軍」と「隊」のニュアンスの違いなど何の意味もない。脳味噌がお花畑の人々にはそれがわからないらしい。
時々、足元のさらに下の方から石が転がり落ちていく音が聞こえる。普通なら落石に配慮しなくてはならないのだろう。後続部隊の頭に落石がぶつかれば、私の仕事が増えるだけだ。しかし、こんな時間に、こんなところを登る馬鹿は多分、山下教官と私だけだ。他の誰かの喋り声はもちろんのこと、呼吸音すらも耳には入らない。耳に入るのは自分の途切れがちな呼吸音と、虫のさえずりと、風に揺らぐ草木が触れ合う音だけである。
山下教官はレンジャー部隊の指導教官30年のベテランで、もうとっくに事務方になっていても不思議ではない年齢なのだが、息があがっている気配が全くない。さすがである。黙々と斜面を登っていて、足音すらも聞こえてこない。先祖は忍者に違いない。
これがハイキングなら、息の吐き方を変えたらどうかな、とか、水が飲みたいな、とか、疲れない姿勢はどんなだろう、などと考えるところだが、実際にこういう場面に直面すると、なぜか明日の夕食のおかずのことなどが気になる。私は蕪の味噌汁が好きだ。なぜなら、蕪を買うと、もれなく葉っぱと丸い根(厳密に言えば、この部分は発胚軸と呼ばれる部位である)と両方がついてくるので、一つで二度美味しいからである。油揚げと、もうひとつは何にしよう、などと考える必要がないのが良い。ダシは、昆布とカツオの合わせだしである。カツオはもちろん鰹節を削るところから始める。出汁の素などを使う人間は料理の何たるかを理解していない。
本当に苦しい場面に置かれ、しかも逃げ出すことができない場合、人間は少しでも現実とかけ離れたことを考えるのかも知れない。とはいえ、廃校を利用して設置された医療・救護部隊のベースでは、まともな料理は食べることができない。生きた鶏や蛇を与えられるレンジャー試験の受験者よりはずっとまともなものを食べてはいるが、国防省そばの鉄板焼き店のような豪勢な食べ物は夢のまた夢である。
ふと、私の腕を引っ張りあげる山下教官の力がぐっと強くなって、私の体が軽くなった。同時に「さぁ、山登りはここまでです」と山下教官が言った。山下教官の頭のなかには、このあたりの地形が全部入っているらしい。この場所が実際の戦場になることは百万年経ってもないだろうから、彼の頭の中の、このあたりの地形を記憶している部分は、未来永劫、この試験でしか役に立たない。とはいえ、少なくとも私にとっては宝の地図である。
やれやれ。やっと登り終わったのか。しかし、私の目に入る景色は相変わらずほぼ真っ暗闇で、今までと何の変化もない。ただ、立ち止まってみると、さっきまで感じられなかった風が感じられる。生暖かい空気に乗って、草と土の香りが運ばれてくる。
「ほんとに、こんなところまで出てきていただいて申し訳ありません」山下教官が、身分では何階級も下の私に丁寧な言葉づかいで話しかけてくる。
「例年、誰かしらがこういうところで怪我をするのですが、これまではなんとかなっていたんです。今回も本当なら中島一尉に出てきていただく必要はなかったのですが、上がちゃんと医者を呼べとうるさいのです」と、私に語りかける。これだけの山登りの直後でも全く息が乱れていない。さすがである。この話を聞いたのは6度目ぐらいかも知れないが、それでも気休めになるからありがたい。
去年まで、このレンジャー最終試験には医師が帯同していなかった。衛生班は存在していたが、医師は不在だったのだ。ところが、去年の試験で重傷者が出てしまった。真っ暗な山を、・・・山道ではない、山である。真っ暗な山を、明かりもなしに歩き続けるのだ。いくら訓練を積んだ精鋭であっても、ときどき崖から転げ落ちる。実際、この試験中には、これまでも怪我人がごろごろ出ていたらしい。そして、去年の試験の際、大腿骨を骨折するという大怪我が発生してしまった。怪我をした隊員は試験に不合格となり、国防隊を辞めた。そして、そのときの経緯を彼のブログに書いてしまったのである。厳密にはこれは守秘義務違反のような気もするのだが、そんな検討が為される前にこれを野党の議員が嗅ぎつけ、国会で「防衛隊の訓練で重傷者が出たことが隠蔽されている。適切な人員配置が為されてないのではないか」と追求した。
おかげで今年から医師が帯同することになったのだ。いい迷惑である、とは口が裂けても言えない。
通常、こういう体力勝負の場面では、医師でも体力自慢の人間が配置されるのだが、今年は中東で起きた紛争にほとんどの防衛隊が派兵されていて、国内に残っている医師は青瓢箪、すなわち私だけだったのである。
山下教官の語りかけに、私も6度目の返答をする。「だ・・大丈夫です。・・・・私も・・・・合気道で鍛えていますから」と、平静を装って答えたが、実際はもう目の前が真っ白になりかけていた。合気道部に所属していたのは本当である。なぜなら、私が卒業した自衛医大は学生全員が体育会系のクラブに所属しなくてはならなかったのだ。野球もサッカーもやったことがない私は、初心者ばかりが集まる合気道部に所属した。もちろん、合気道部の練習に山登りはない。
「ここからは平地です。あと20分ぐらいです」
山下教官が事務的な語り口で言う。ははぁ、あと30分ぐらいだな、と思いつつ、腕時計のライトのスイッチを入れると、針は3時過ぎを指していた。こんな時間に戦闘ゴッコをやるのは勝手だが、医者に迷惑をかけないようなやり方ができないものだろうか。
「あ、あの明かりです。あそこまで頑張ってください」山下教官の声が遠いところから聞こえてくる。
多少呼吸が落ち着いてきた私は、今は長い帰り道のことを思って絶望しようとしていたところだった。山下教官は「あそこ」と言ったけれど、それがどこなのかもさっぱりわからない。山下教官は暗視スコープを使っているわけではないので、抜群に夜目が効くに違いない。あなたはコウモリか?と思ったけれど、とりあえずは
「あ、あそこですか。もうすぐですね」と適当にあわせておく。もちろん「あそこ」がどこなのかは皆目見当もつかない。ふと、コウモリは夜目が効くのではなく、あれは超音波の類で、イルカの位置把握に近いのだったっけ?などという考えが頭をかすめる。
山下教官は「もうすぐ雨になりそうなので急ぎましょう」と、今度はアマガエルのようなことを言う。こういう訓練の指導を何年も続けていると、色々と特殊能力が身につくのだろう。これなら定年後も気象庁あたりで雇ってもらえそうだ。
「雨は嫌ですね。ちょっとペースをあげます」と応えてはみたものの、実際は今以上に急ぐことなど全く無理な話である。帰り道にずぶ濡れになることが確定した。
結局、「あそこ」までは35分かかった。私としては健闘したと思う。そこには別の教官がペンライトを持って待っていてくれた。
「草間教官、待たせたな」と山下教官が声をかけると、現地で待っていた草間教官が「お待ちしておりました」と応える。
「怪我人はどこだ」
「はっ、この崖の下に3名、集めております」
「落ちたのか?」
「一名が行方不明になったのですが、先ほど、崖下に落ちているのを発見しました。他にも怪我人がいたのですが、崖から落ちた隊員を引き上げるのが難しいため、軽傷の隊員を崖下に下ろして待機させております」
「わかった。ご苦労だったな」
この程度のことをなぜ無線でやり取りしないのか、不思議だったのだが、敵国に傍受されないよう、極力無線機器は使わないのだそうだ。敵国がどこにいるのかはわからないが、この細部に至るまでのこだわりには恐れ入る。
私は「この崖を降りたら、降りっぱなしってことはないよな。登らなくちゃならないんだろうな」などと考えていたのだが、実際には「この崖」がどの崖なのかも見えていなかった。こいつらはなぜこの暗闇で「この崖」が見えるのだろう?私にとって今いるところは、子供の頃に行った真っ暗闇のお化け屋敷と同じなのだが。
と、突然山下教官が私に声をかけた。
「中島一尉、この崖を降りることができますか?」
「うんうん、無理」と言ったらどうなるのかはちょっと興味があったのだが、この質問への答えはさすがに一択である。
「大丈夫です。問題ありません」
草間と呼ばれた教官がペンライトで照らすと、下草が生えている斜面が見えた。しかし、草が多すぎて、ほんの1メートル先ぐらいまでしか見えない。斜面になっていることはわかるのだが、どのくらいの斜度なのかもわからない。良くもまぁ、こんなところに落ちてしまった隊員を見つけたものだな、と感心したのだが、草間教官が草むらに向かって「今から降りて行くぞ」と声をかけると、それほど遠くないところから「レンジャー」という、一人ではない声が聞こえてきた。
このレンジャー部隊の試験の最中、受験している隊員たちはどんんな場面でも「レンジャー」としか発言することを許されていない。主旨としては口答えを許さない、ということらしいのだが、なぜか口答え以外のことも、何も喋ってはいけない。ご飯を食べるときも「レンジャー」(いただきます)、トイレで用をたしている時にノックされても「レンジャー」(はいってます)、くしゃみをするときも「レッンジャー」(はっくしょん)である。理不尽だし、意味不明だし、これが何の役に立つのかも私にはさっぱりわからないのだが、そういうルールなので仕方がない。考えてみれば犬はワンワンだけで、猿はキャッキャッだけで、ショッカーはイーイーだけで意思疎通ができているので、国防隊の精鋭ともなればレンジャーだけで意思疎通ができるのもそれほど驚くべきことではないのだろう。
降りたら登らなくてはならないという当たり前の事実に憂鬱になりながら、草むらに足を伸ばす。斜度がわからないので、足で地面の気配を探しているのだが、感触がない。これはかなり斜度がありそうだ、と考えていると、体が宙に浮いた。ヤバイ、と思った瞬間、私の体は山下教官の分厚い胸に飛び込んでいた。どうせ転がり落ちるだろう、とわかっていたようだ。さすがは超ベテランである。頼りになる。
「気をつけて下さい。中島一尉まで怪我をされては洒落になりませんので」と言われ、一瞬返事に詰まったのだが、はっと思い出して「レンジャー」と答えた。山下教官の返事はなかったが、なるほど、発言が一種類しかないというのも便利な場面があるのだな、と感心した。
斜面は、私が思っていたよりもずっと急だった。とはいえ、命綱を使わなくてはならないほどの斜度でもなく、崖自体はそれほど高くなく、10メートルほどだった。しかし、日頃から崖を降りる訓練をしていない私にとっては、ここを降りるだけでもかなりの難題である。気分としては、歩いて降りているというよりは飛び降りている感じが近い。しかも、先は真っ暗闇である。やっとの思いで崖を降りると、その先は2畳ほどの広さの平らな空間になっていた。ペンライトで照らすと、刈ったばかりの草が無造作に積み上げられている。そこが元から広場だったのではなく、急ごしらえのものだとわかった。レンジャーの訓練を受けるような隊員たちにとってはこのくらいは朝飯前なのだろう。何しろ、彼らは食料も、水も、何もない手ぶらの状態で何百キロもの距離を走破するのである。
広場には、3人の隊員がいた。一人は横になっており、残りの二人は私たちを直立して敬礼しながら迎えた。こんな私でも、ただ自衛医大を出た医者というだけで彼らよりも階級が上なのだ。
私のあとからやってきた草間教官が私に声をかける。
「こいつが崖から落ちて、足を痛めているようなんです」
草間隊員が、横になっている隊員の足をペンライトで照らす。迷彩色のズボンが土で汚れているのはわかるのだが、私も神様ではないのでこれだけでは何もわからない。
「えーーーと、どこか痛いところはありますか?」と、いつも病院で聞くように質問してみたら、横になっている隊員は「レンジャー・・・・」と、苦しそうに答えた。
「どこか、痛いところはありますか?」ともう一度、今度は声を大きくして聞いてみた。すると、倒れている隊員は、今度は「レンジャー・・・」と言いながら自分の右足を指差した。なるほど、右足が痛いのか。確かに「レンジャー」だけでも意思疎通は可能なようだ。
「この崖から落ちたんですよね?」と、次の質問をしたところ、怪我人殿が答えようとする前に草間教官が「こいつ、自分でも良くわからないみたいなんです。この真っ暗闇でしょう?多分足を踏み外して崖から落ちたんだと思うんですよ。隊員が消えてしまって探したところ、この崖の下から声が聞こえてきて、降りて調べたらここに倒れていたんです」と教えてくれた。
横で、件の重傷隊員が「そうそう」という感じで頷いている。こんなやりとりでまともな診察ができる自信はなかったのだが、ルールだから仕方がない。簡単にまとめれば、崖から落ちて足が痛いらしい。
「ここじゃ、処置にも限界があります。怪我の状態もわかりませんから、設備のある病院まで戻って、まずレントゲンを撮りましょう」と普通に言うと、草間教官が「いや、それはダメなんです。病院に行って、検査して、万一骨折していることがわかったりすると、試験に不合格になるんです。この試験は一生に一度しか受けることができないので、途中で病院にいくわけにはいきません」と答えた。ええっ?いや、でも骨折していたら、試験どころではないのでは?と思う間もなく、草間教官は倒れている隊員に、厳しい口調で短く語りかけた。
「お前も嫌だろ?」
言われた隊員は弱々しく、
「レンジャー・・・・」
と答えた。
防衛隊恐るべし。レンジャー恐るべし。これでは訓練に医者が帯同している意味がない。捻挫だろうが、骨折だろうが、一切関係なのである。いや、意味はあるのだろう。要すれば、反防衛隊の政治家の追求に対して「やるべきことはやっている」と反論できれば良いのである。私は、私自身が、怪我を診断したり、適切な処置をするためにいるのではないということを瞬時に理解した。
「わかりました。じゃぁ、ちょっと立って歩いてみてください」というと、崖から落ちた隊員は「レレレンジャーーー」(多分、イタタタタ)と言いながら立ち上がり、びっこを引きながら数歩歩いてみせた。私が何か言おうとすると、それを制するように草間教官が言った。
「なんだ、普通に歩けるじゃないか。大げさな奴だな。ちょっと跳ねてみろ」
件の隊員は顔をしかめながら、ぴょんぴょん飛び上がってみせた。私の勘では彼は95%ぐらいの確率で脛骨を骨折している。普通なら絶対に安静にすべき場面なのだが、人間、やればできるものである。
それにしても、誰もがこんな芸当をこなすなら、世の中には脚が不自由な人はいないと思う。しかし、上官は好き勝手に発言できて、一方で部下は「レンジャー」としか言えないので、最初から結論は決まっているのである。私が口を挟むところは全くないので、「じゃぁ、大丈夫だと思います」と言っておいた。すると、草間教官は安心したような表情を見せた・・・・ような気がしたけれど、暗闇なので実際は良くわからなかった。そんな気がしたのは、私にも特殊な能力が身に付きつつあるせいだったのかも知れない。
「じゃぁ、次はこいつをお願いします」と、草間教官は次の隊員をペンライトで照らした。え???崖から落ちた隊員はもう良いの?せめて添え木ぐらいは、と思ったのだが、草間教官の態度には迷いがない。草間教官の筋肉ばかりの脳味噌の中においては、隊員Aのことはもう「既決」のフォルダに収納されてしまったようだ。
「こいつも足を引きずっているんですが・・・」と、次の隊員Bの様子を私に伝える。私が「ちょっと歩いてみて下さい」と言うと、言われた隊員Bはびっこを引いて歩いてみせた。具合が悪いのは脚ではなく、足先のようである。本当なら本人に症状を聞きたいところなのだが、どうせ返事は「レンジャー」に決まっている。
隊員Bに、「ちょっと靴と靴下を脱いでみて下さい」と言うと、隊員Bは無言で靴と靴下を脱いだ。靴下は血で汚れていた。私のペンライトで照らしてみると、なるほど、重傷の靴ずれである。それにしても、なぜ私たちまでペンライトを使う必要があるのだろう。このあたりのこだわりも私には理解ができない。
「あ、これは靴ずれですね。あと、親指の爪も割れちゃってます」
「消毒すれば大丈夫ですか?」
「うーーーん、歩かない方が良いと思いますが・・・」
「有事の際にはそんなことは言ってられませんから。大丈夫だよなっ?」
「レンジャー・・・・」
どうやらこいつも大丈夫らしい。今が有事とも思えないのだが、彼らの設定が有事なら仕方がない。有事といえば、頼りになる山下教官の姿が見えない。どうやら山下教官は個人的に有事なのかもしれない。これが伊勢丹なら「突き当りに行ってきます」と隠語で語るところだが、防衛隊は黙って消えるのがルールのようだ。いや、良く考えてみれば、デパートは周囲に客がいるから隠語が必要なのだ。防衛隊の周囲には味方しかいないのだから、隠語を使うのはもちろん、「ちょっとトイレ」と言う必要すらないのかも知れない。誰かの姿が見えなくなったとしても、敵のスパイに拉致された可能性は、今日の昼食で落合シェフが直々にパスタを茹でてくれるくらいに小さいのである。
ペンライトで照らした限りでは、靴ずれはかなり痛そうに見える。それに、私もせっかくこんな山奥までやってきたのだ。何もせずに帰るのでは医者としてのプライドが傷つく。応急処置だけでも、と思い、靴ずれを消毒してガーゼで保護してやった。割れた爪は特殊なカバーで覆ってから、包帯で数回巻いておいた。この程度の対応なら衛生班でも十分に可能だろう、と思わないでもなかったが、防衛隊にとっては医師の資格を持っている人間が処置することが大事なんだろう。
「次はこいつなんですが、何か、唇が腫れてるんです」
懐中電灯の明かりで口元を照らすと、確かに通常の3倍くらい唇が腫れている。ふと、頭のなかに「通常の3倍のスピードで・・・」というフレーズが浮かんで、口角が上がってしまった。と、何も言わないうちに草間教官が説明してくれた。
「多分、何か変なものを食ったんですよ」
教官を長くやっていると、何もかもお見通しなのだろう。
訓練の最中は食料が与えられず、野草や野生動物を食べることになる。そのとき、漆など、触ると皮膚炎を起こすようなものを食べてしまったというのが真相のようだ。今でもすでに唇が腫れているが、多分明日になればもっと酷くなる。腫れているのが口だから良かったが、これが目の周りだったらさすがに試験どころではなくなるところだっただろう。とりあえず、ステロイドの内服薬と軟膏を3日分渡した。
草間教官が「これで大丈夫ですよね?」と聞いてきたのだが、私も小一時間で学習していたので、もちろん「レンジャー」(大丈夫でしょう)と言っておいた。「ダメです」と言ったところで、対応は同じなのだから、お互いのためである。
その時、有事で消えていた山下教官が戻ってきた。「終わりましたか?」と聞くので、「はい。3人とも大丈夫だと思います」と答えておいた。「それは良かった」と答える山下教官の声はこころなしかスッキリした感じである。
草間教官が「よし、訓練に戻るぞ」と声をかけると、3人は直立して「レンジャーー」と答えた。どうするのだろう、と思ってみていると、3人はそれぞれに斜面を登りだした。3人のうち2人は普通ならちょっと歩くのも辛いんじゃないか、と思うくらいの状態だったのだが、精鋭部隊だから問題ない。
3人が暗闇に姿を消すと、山下教官が私に「足元が悪い中ご足労頂きありがとうございました。では、ベースに戻りましょう」と言った。やれやれ、またこの真っ暗闇を戻るのか、と思ったのだが、その頃にはもう東の空が明るくなってきていた。空は曇りである。雨が降り出す前にベースまで戻りたい、と思った瞬間、頬にポツリと冷たい感触があった。あぁ、こんなことなら、イラクに行っておけば、と思ったのだが後の祭りである。
結局、私がベースに戻ったのは朝食時間も終了した朝の8時だった。自室、−−と言っても、廃校になる前は2年3組の教室だった場所だが−−広すぎる個室に戻ると、綺麗なシーツに取り替えられたベッドが私を待っていてくれた。シーツの交換は部下の松本3曹がやっておいてくれる。本当は自分でやらなければならないのだが、私はそういう作業が面倒くさくて仕方がない。だから、起きたら起きっぱなしで放置しておく。私のベッドのシーツが乱れていると、怒られるのは松本3曹である。私がこの部屋にやってきた次の日、朝食から戻ってくると、ちょうど松本3曹が「松本っ!なぜ中島一尉のシーツが乱れたママなのかっ!!」と怒鳴られているところだった。以後、私が朝食を食べている間に、私のベッドをきれいに整えるのが、松本3曹の日課に組み込まれた。
私はびしょびしょの制服を脱ぎ捨てると、そのまま布団に入った。その日、私は落合シェフが蕪の味噌汁を作ってくれる夢を見た。彼は笑顔で私に語りかけた。
「レンジャー!!!」(Buon appetito!)