埼玉県で児童虐待禁止条例の改正案が撤回されてしまった。自民党にしては珍しく良い提案だと思ったのだが、日本国民がほぼ総反対の勢いだったので、とても驚いた。
我が家には幼稚園年中の児童(Holtby君)がひとりいるのだが、彼は米国生まれで、生まれてから半年ほど米国で暮らしていて、その期間の育児担当は僕だった。米国には子供だけで留守番をさせる、子供だけで街を歩かせるなどの行為は児童虐待として逮捕・勾留・親権剥奪の対象となるので、一瞬たりとも目をはなすことはなかった。法律のない日本に戻ってもその姿勢は継続していて、これまでの5年間で、両親が寝ている間を除けば、大人の監視が全くない状態でいた時間は1時間以下だと思う。
そういう状態で育児をしてきたので、今回埼玉県で提案された児童虐待禁止条例はまったく当たり前のことで、法制化されても痛くも痒くもなかった。
#ちなみに欧州においても12歳以下の児童を子供だけで留守番させる、自動車内で待たせる、学校に行かせるなどは違法で、米国同様逮捕の対象となる。つまり、欧米で子供を育てたことのある人間から見ると、日本の状態が異常なのだ。
欧米と日本では治安の良し悪しの差はあるのだが、問題は犯罪の数だけではなく事故のリスクもあるので、こちらとむこうの児童虐待に対する認識の違いは、弱者保護の視点の違いなのだろう。しかし、欧米の法制化について詳しいわけではないので、そこはちょっと置いておいて、僕の考え方を書いてみる。
まず、本件での関係者は「親」「子」「児童福祉全般についての責任者」の3者である。3つめの責任者は、本件でいえば埼玉県になる。
僕の視点は、「誰が一番の弱者か」である。言うまでもなく、一番弱いのは子供で、自衛する手段もなければ、行政にそれを訴えることもできない。僕はまず彼らの安全を最大限に優先しようと考える。そうすると、今回の条例には当然賛成の立場になる。おそらく、欧米諸国でも同じ考えで、法律も作られているのだと想像する。「誰がいちばん配慮を必要としている弱者なのか?」である。
一方で、反対する日本人の視点は親である。考え方のベースは「弱者救済」ではない。「そんな法律ができたら働けない」「どうやって育児していくのか」という意見には現実的に妥当性があるのだが、弱者は目の前に存在している。
ここ数年で覚えているだけでも、親戚が目を離した隙にマンションの窓から落ちて死んだとか、児童だけで留守番していて出火し焼死したとか、自動車内に放置されて熱射病で死んだとか、そういう気の毒なニュースを見かけたのだが、条例があれば防げたかもしれない。日頃から地域の見守り情報を読んでいれば、子供たちが日常的に悪意に晒されていることがわかるし、事件だけでなく交通事故もある。
これは直接的なことではなく、雰囲気なのだ。「マスクをしなくても大丈夫」と同じで、社会にはいつの間にか形成される「雰囲気」がある。それは「子供だけで留守番させても大丈夫。みんなやってる」「寝ているので車内で待たせてもちょっとぐらいなら大丈夫」などである。しかし、実際には死んでいる子供たちがいる。不幸にして亡くなった彼らの親は、子供を死なせてしまったことを一生悔やみ続けるだろう。
僕は自分がそういう立場に立たされるのが嫌だから、法律がなくても、雰囲気がなくても、絶対に子供から目を離さないし、風呂にお湯を残しっぱなしにはしないし、道路や駐車場を歩くときは手をつなぐし、車から下ろすときは車道側とは反対から下ろすし、家で一人で留守番させることもない。しかし、想像できない人はいっぱいいて、子供を失ってはじめて気付くのである。子供を失うのは自己責任としても、命を落としてしまう子供たちは気の毒どころの話ではない。
今回反対意見を表明している人は、子供がいるなら想像力が欠如しているし、いないなら大きなお世話である。どうせ子供が死んでも責任なんか取らないし、取りようもない。どちらにしても、子供のことよりも親の方を優先している。子供の命を大切にしようという立場なら、賛成一択である。
では、賛成すればそれで良いのかといえばそんなことはない。一番の弱者である子供の権利を確保したら、今度は次に弱い立場の「親」を保護する必要がある。
「共働きで面倒を見ていられない」「保育園を断られた」「ベビーシッターに払うお金がない」
ごもっとも。そうやって親を追い詰めている行政が悪い。少子化が問題だと言っても大した対策もせず放置している国が悪い。しかし、彼らの行動を許しているのは有権者である我々である。逆の視点から見ると、そういう行政の姿勢を容認している後ろめたさから、子供の安全には目をつぶって親の便宜をはかろうと思うのかもしれない。この辺の思考パターンは良くわからないのだが、もし埼玉県が児童虐待禁止条例を改正するなら、同じ時期に親の支援策も打ち出す必要があった。埼玉県にそこまでの覚悟があったのかどうかはわからないのだが、育児世代を強力に支援する機会を先送りしてしまったことは間違いない。
以上を整理すると、「子供に配慮するなら賛成一択」「親の支援も必須」のふたつである。埼玉県民は、子供の安全確保と親の支援をするか、両方ともしないという選択を迫られて、後者を選んだ。そしてそれを後押ししたのが圧倒的多数の日本人だった。法律の成立に文句を言うのは筋違いで、文句を言うべきは法律が制定されると育児が立ち行かない現在の社会環境である。
ともあれ、無責任な国民の苦情を受けて法律は撤回されてしまった。僕は別にそれで困ることはないので、今まで通り粛々と子供の成長を見守る。放置されて亡くなる子供がいないと良いけどね。
以下余談。
ということで、僕は最初からこの条例には賛成の立場で、理由は「一番の弱者は子供だから」である。この考え方が日本においてマイノリティなのは仕方ないし、議論もやぶさかでないのだが、はてなブックマークで言うに事欠いて「邪悪」とまで書いてきたy-mat2006というバカがいる。
僕がこいつだったら恥ずかしくて生きていけないのだが、まだ生きているのだろうか?あと、はてなに対しては侮辱という理由で通報したけれど、特にこれといった対応はされていないので、はてなを使うのもやめた。バカが使っているバカ会社のサービスを使うのは恥ずかしい。